準太→阿部/社会人パラレル
毎日毎日家と会社の往復で、内勤だから仕事内容も大きく変わることはなく、本当につまらない日々を過ごしている。転勤も異動も希望しちゃいないから今の状態がベストと言えばベストなのだが、こうも毎日同じことばかりしていると脳みそが退化しそうだ。と、入社二年目までは思っていた。
だけど今は違う。今は会社に行くのが楽しみでしょうがない。いや正確には会社が楽しみなんじゃなくて、会社の昼休みに行く丼屋が、なのだけど。
「じゅーんたっ。飯行く?」
チャイムが鳴ってパソコンを落として、いつものように上着を羽織って事務所を出ようとしたところで上の階から降りてきた山ノ井と島崎に見つかった。
「そうッスけど…ヤマサン達どこ行くんスか」
「準太はどこ行くの?」
言いたくない、出来ればこの二人とは一緒に行きたくない。せっかくの昼休み、せっかく幸せな自分だけの時間が待っているというのに。
「準太お前いっつも丼屋行ってね?駅前のあそこ」
「あ~あっこね。そういや最近行ってないなぁ。行く?慎吾」
「行くだろ?準太」
「……はい」
しかしここで変に嫌がると勘付かれそうなので(山ノ井は人の嫌がることには超敏感なのだ)、大人しく先輩達の後について準太はいつもの丼屋に足を運んだ。
忙しない店内に入ると、テーブルは二人席しか空いていなかった。立地条件がいいから、この店はいつも満員御礼だ。
「あ、俺カウンターでいっスよ。いっこ空いてるし」
「え~一緒に来た意味ないじゃん!」
「別に飯食うだけなんだからいいじゃないスか」
しかしそこで山ノ井はにやりと笑い、ほんとにィ?と準太の顔を覗き込んできた。現役球児時代からのポーカーフェイスをもってしても、長年の付き合いである山ノ井を騙すことなんて到底無理だと重々承知している。が、それでも準太は平静を装うしかなかった。絶対にバレたくはなかったから。
「は?何がスか」
「準太がとぼけております隊長!」
「うーん、まだまだ演技がヘタだな準太。そんなんじゃ俺の好きな子教えますセンパイっつってんのと一緒だぞ?」
「……ッ!」
「とゆーワケでぇ~、今から準太のお目当ての子探しまーす」
「ちょっ、やめてくださいよ!!」
とかなんとか邪魔になる入口で言い合っているうちに、4名席が空きましたのでどうぞと店員に促され準太は逃げ場を失うことになる。さっさと注文を終えた先輩二人は、渋面を作ってだんまりを決め込む後輩を向かいの席からじぃーっと見つめたり店内をきょろきょろ見回したりした。
「別に横取りしようなんて思ってないんだから、教えるくらいいーだろ?」
「なんで慎吾さん達に教えなきゃなんないんスか。つか教えるも何も、いません」
「ウソ吐かれると暴きたくなっちゃうからダメだって~」
「だからいませんて!大体なんでここにいるって決めつけてんスか」
そう、問題はそこなのだ。絶対誰にも悟られないように社内でこの店のことなんて話したことはないし、もちろんこの二人にも言ったことは一度もない。なのになぜ彼らは 準太に好きな人がいて、それがここの店員だと分かったのだろうか。すると島崎は安っぽい椅子の背もたれに大きく背中を預けて、うーんと伸びをしてから言った。
「実は俺もいるんだなー、ここに。だからお前とかぶっちゃったらどうしようかなって思ってさ」
「えっ…」
「ハイ確定ー!コレはいるね、ぜーったいに」
不意をつかれた準太の素の表情に確信を得た山ノ井と島崎は隣同士でハイタッチをして喜ぶ。
「ちがっ、」
「ネギトロ丼と親子丼お待たせしました」
準太が全力で否定しようとした時に丼が運ばれてきて、準太は店員の顔を見上げることなく小さく会釈して器を受け取る。今この瞬間こそ、絶対に絶対に目の前の先輩達に気づかれたくはなかった。今準太の隣に立っているこの青年こそが山ノ井と島崎の探している準太の想い人なのだから。
一旦カウンターへ戻ったその人が再び丼を持ってきて全員に行き渡ってから、食事と同時に会話が再開する。どうやら二人にはばれなかったらしい、もうそれだけで準太としては充分だった。
「ねーねー誰?今日入ってる?」
「知りません」
「毎日ここ食いに来てるってことは、相手もほぼ毎日入ってる子だろ?」
「店員じゃなくて客かもしれないでしょ」
「そうやって答えを遠ざけようとするあたり店員でビンゴってことだろ?甘いねーお前相変わらず」
「……」
島崎の鋭い答えに返す言葉が見つからなくて絶句してしまう。動揺を隠すために準太は、普段は特に気にもしない携帯をズボンのポケットから取り出してテーブルの上に置いた。それは単に意味のないその場しのぎの動作だった。が、
「あっ」
他の席に運び終えた彼が準太の隣を通った時、彼の手が準太の携帯にぶつかった。携帯はそのまま床に落ち、パンと軽い音がした。
「っ、…すいません!」
「あっ、いや、大丈夫?」
彼は驚いて準太の携帯を床から取り上げ、手のひらでゴミを払って何度も頭を下げてきた。そして準太にその携帯を返そうとした彼の動作が一瞬止まり、準太が首を傾げると、
「も…申し訳ありません、ストラップ…」
どうやらさっきの衝撃でストラップが欠けたらしい。だけど特に気に入っていたわけではないからショックでも何でもない。
「あの、弁償します」
「えっ、あ、いいよ、大したもんじゃないし。つか怪我してない?」
「でも俺が壊しちゃったんで、弁償させてください」
まさか彼と会話出来るなんて夢にも思っていなかったから、突然の幸運に嬉しいのだがどうしていいか分からず、気の利いた言葉が出てこない。忙しい店内でいつまでも 彼をここに留めておくわけにもいかないのに、彼は尚も弁償すると食い下がってきて、恥ずかしくて目を合わせられない。
「いいって!」
だから思わずきつい口調になってしまい、しまったと思った時にはもう遅い。彼はびくっと身体を強張らせ言葉を飲み込んでしまった。
「いいんだよ。これウチの会社の販促品だから、腐るほど在庫あるんだ」
「そうそう。気にしないでいいよ」
何も言えなくなってしまった準太のフォローをするように島崎と山ノ井が優しく彼に説明する。仕事戻りなよと山ノ井に言われて、彼は躊躇いながらも準太にもう一度謝罪して、それからその場を去った。
「……」
「……」
沈黙が続いた。窒息しそうなのはきっと自分だけだろう、なぜなら先輩達にとってはこの沈黙は楽しくてしょうがないはずのものだから。
「準太、お前さぁ…」
「……」
「好きな子の前じゃぶっきらぼうになるタイプなんだねぇ」
あぁ、もう、サイアクだ。
あの出来事以来、店には行けなくなってしまった。と言ってもまだ4日だけども、毎日欠かさず昼はあそこに通っていた準太にとって4日も彼に逢えないのは辛くてしょうがなかった。
だけどあんな言い方をしてしまって、次会った時にどういう顔をすればいいか分からない。また謝られても困るし、だからと言って本当に怒ってないよなんてわざわざ言うのも おかしい。
初めての会話があれだなんて、彼の中での自分の印象は最悪だろう。怒りっぽい器の小さな男だと思われたに違いない。それを思うともうあの店には行けなくなってしまった。もう終わったな、と準太は溜息を吐いた。始まってもいなかったけれど。
少し残業してから会社を出た。しないでおこうと思えば定時でも帰ることは出来るが、どうせ急いで帰ったところで部屋に一人だし自炊もほとんどしていないから急ぐ必要はない。今晩は近所のラーメン屋で済まそうと考えながら駅へ向かって歩いた。丼屋の前を横切る時になんとなく店内に目をやってしまうが、やはり彼はいない。分かっているのについ見てしまう。女々しいなと小さく舌打ちをして前を向いたところで、
「あ」
彼だった。ちょうど店から出てきた彼とばったり出くわした。準太も驚いたが彼も驚いたようで、お互い一瞬固まってしまった。
「こ、こんばんは」
彼は緊張した表情と声で準太に向かってぺこりと頭を下げる。
「あ、どうも」
「お久しぶりです。今帰り…ですか?」
「あー、うん」
彼はあっと思い出したように慌ててカバンの中をごそごそ漁って、何かを取り出した。
「あの、これ、もらってください」
差し出された袋を見て準太が首を傾げると、彼は半ば押しつけるようにして準太にその袋を手渡した。準太は見当のつかないままそれを受け取り、開けていい?という目を彼に向ける。彼はこくんと頷いた。
「あ…」
出てきたのはストラップだった。黒い合皮のストラップに、タヌキのマスコットがついている。
「もっと早く渡したかったんですけど、今週は来られなかったんで…」
「あ、…ごめん」
彼はハッと顔を上げると、そういう意味じゃないんですと首を振ってまたぺこりと頭を下げる。渡せて良かったです、と言ってはにかむ彼の表情は仕事中の少し無愛想なものとは全然違う。あの黙々と仕事をこなす少し近寄りがたい彼に惹かれていたけれど、こんな緩い表情もいいな、と胸が高鳴った。
気を遣わせてしまって悪かったな、と思う。だけど同時に、自分のことをずっと気にしてくれていたのかと思うと正直嬉しかった。彼にとってただの昼の客の一人でしかなかった自分が、携帯のストラップがきっかけで彼と話すことが出来て今こうして彼にプレゼントまで貰えてしまったのだ。あの日先輩達に捕まったのも結果的には良かったのかもしれない……が、
「……ぶっ」
ストラップをじっと見つめていた準太は、思わず小さく噴き出した。彼は「え?」と真顔のまま準太に訊く。
「なんか面白いこと書いてました?」
「い、いや…、つか、これ……ぶはっ」
「?どうしたんですか?」
準太はストラップを握ったまま肩を震わせ声を殺して笑う。何がそんなにおかしいのだろうと首を傾げる彼に申し訳ないと思いつつも、口に出さずにはいられなかった。
「このタヌキめっちゃブサイクじゃね?これ気に入ったの?」
「タ…、ちが、違います!これ仔犬ですよ。なんか犬シリーズの仔犬です」
「犬!?いやいや、犬ならもっとかわいいだろ?」
「かわいいじゃないスか」
「これがかわいいの!?」
彼の美的センスというかかわいいの基準があまりに低すぎて準太のツボに入り、笑いが止まらない。あまりに失礼なことを言う準太に彼が呆然としているのが分かったが、それでも笑いを止めることは出来なかった。
「…いらないならいいです」
「あはは!ごめ、ごめんごめん、いるって。嬉しいよ、ありがと」
「イヤがってるじゃないスか。ムリしないでいいです」
「いや嬉しいって。かわいいかわいい」
「ウソばっかり」
「ウソじゃないって」
むくれてちょっと頬を膨らませて、バカにされたと思ってショックを受けている顔がかわいい、とても。こんな、子供みたいに喜んだり拗ねたりするんだと、当たり前だが、今日初めて知った。一方的に外見だけで好意を持っていたけれど、ほんの少しでも彼の性格を垣間見ることが出来てばかみたいに胸が弾む。
「かわいい」
準太はもう一度、優しい声で言った。彼はまだ腑に落ちない渋い表情で黙っていたが、準太の顔をちらと見上げるとまたふいと目を逸らした。首を竦めてマフラーに口元が隠されて、その格好がまた幼く見えて準太は目を細める。自惚れじゃなければ、彼はちょっと、照れているように見えた。
「俺、高瀬っていうんだ。高瀬準太。…名前、訊いていい?」
「あ、…」
ただの店員と客だった、それだけで満足していたはずなのに。
だけどもっと知りたい、仲良くなりたい。昼休みがすごく楽しみになったんだと、君がいるから毎日通ってるんだと、言ったら彼はどんな顔をするだろうか。
また明日から昼は丼に戻そうと、準太は丼屋の店前で客の鑑のようなことを思った。
end