KWNB624

二次小説置き場。ブログタイトルから連想できる方のみどうぞ

最後の日②

「明日から新学期だろ?」

送るよ、と言われて断ることも出来ず、自転車を押して並んで歩く。昼間は桐青の練習に顔を出したらしい、久しぶりに汗だくになったと笑う慎吾さんは本当に楽しそうだ。

「隆也ンとこは新入生何人くらい来てんの?」

「まだっスよ、入学式も終わってないのに。エスカレーターの桐青とは違うんです」

彼はイヤミではなく本心から、えっそうなんだ、と驚いた。

「でも入部希望多いだろうな、去年出来たばっかの新設校で5回戦まで行ったんだから」

「だといいですけど」

桜の木の続く道をゆっくり歩きながら、今日が一番桜きれいなんだって、と慎吾さんは嬉しそうに言った。いつもなら言葉通りの意味しか理解出来ない俺だったけど、今日はなぜか、慎吾さんの心の声が聞こえた気がして自転車を停めた。俺も同じことを考えていたからかもしれないけど。

またウチと夏大初戦当たったら因縁だなぁと彼は言い、だったらこっちが有利でしょと俺は言い返す。生意気、と言って彼はまた笑うと、おもむろに伸ばしてきた手で俺の頭をくしゃ、と撫でた。

 

痛い。心臓が、痛い。

 

慎吾さんの声が、手のひらが、この距離が、今日でもう最後なんだと俺に告げる。

あの日でもう二度と逢うことはないと思っていたのに、慎吾さんは来てくれた。春休み最後の今日、明日からお互い始まる新しい生活の前に、もう一度だけ、最後に俺に逢いに来てくれたんだ。

それが彼の優しさで、多分本当に好きでいてくれたんだと、今日までの日々を、嘘ではなかったんだと証明してくれる。

もう、それだけで充分嬉しい。あんたの特別でいられた8ヶ月間を、俺は後悔せずに心の奥にしまいこめるだろう。

夏の試合後日、偶然の再会から始まった俺達の関係。二人で花火を観に行ったことも、遠回りして一緒に帰ったことも、初めて肌を重ねたことも、何もかもが今は俺の胸を締めつけるけど、

何か原因があるわけじゃない、

気持ちが冷めたわけでもない、

ただお互いの生活が、世界が、明日広がるだけのこと。

だけど慎吾さんの新しい世界に俺はいなくて、俺の新しい世界に慎吾さんはいない。
どちらのせいでもない、分かってたことだから。

びゅう、と強い風が吹いて、ざわめく葉擦れの音と共に淡い薄紅色の嵐が降りかかってきた。

「隆也」

慎吾さんの柔らかい声が耳を撫でる。俺の大好きな、優しくて低い声。初めの頃は名前を呼ばれるたびにどきどきして苦しかった。だけどやがてそれは丸みを帯びてじんわり胸の中に沁み込んで、いつからか慎吾さんに名前を呼ばれると安心するようになっていた。

でも今は、その大好きな声がたまらなく辛い。耳を溶かすように囁かれる声が、同時に俺の心臓をゆっくりと握り潰していくようだ。

慎吾さんの手が俺の頬を包むように触れた。そう、この手も好きだった。頬から離れた慎吾さんの手のひらは、そのまま俺の後頭部を撫でるように俺を引き寄せる。俺は素直に、慎吾さんの胸に額を押し当てた。

「泣かないで、隆也」

泣いてませんって言いたかったけど、声が喉に詰まって出てこない。

それにたとえ声が出たとしても、こんなに涙零れてたら泣いてないも何もない。

「隆也」

慎吾さんが優しく俺の名前を呼ぶ。もう聴けなくなるから、もっと呼んでほしい、と思った。この桜の花びらと同じくらい、たくさんたくさん、俺に降り積もって。

「隆也、ひとつだけ訊いていい?」

慎吾さんが俺の頭に頬を擦りつけるようにしながら頭を撫でて言う。俺はこくりと頷いた。

「そんなに泣いてくれるってことは…さ、俺と離れるのを悲しんでくれてるって思って……いいの?」

この人、なに言ってんだ、と思った。

今更、何を言ってるんだ?この人は。

あまりに心外すぎる言葉に涙が少し止まる。返事も出来ない。 

俺はズッ、とひとつ鼻を啜ってからゆっくりと顔を上げた、そして慎吾さんと目を合わせる。

慎吾さんの表情は、いつもの何を考えてるか分からない余裕めいたものではなかった。勝手な見方かもしれないけど、少しだけ、不安な感じに見えた。

「何でそんなこと訊くんだって思ってる?」

全くその通りだったのでこっくりと頷く、すると慎吾さんは苦笑した。

「俺だって自信ないんだよ?」

慎吾さんの口から、慎吾さんの台詞とは思えない言葉。

「……」

「そこでそんなビックリした顔する?」

「だって…」

だって、まさか、ウソだろう?慎吾さんが自信ないなんて。あんなに俺を振り回してたくせに。俺はいつだって慎吾さんにどきどきさせられて、手を引かれて、なんとか慎吾さんについていくので精一杯だったっていうのに。

だって考えてもみろよ、と慎吾さんは続ける。

「つき合おうって言ったのも俺だし、メールも電話もほとんど俺からだろ?隆也からもたまにはくれるけど、それって前回の俺のメールに対する返信だったりするし」

だって、自分から電話したりなんか恥ずかしい。慎吾さんは受験生だったから、用事もないのに電話なんて迷惑じゃないかってうだうだ考えてたり尤もらしい用事をウンウン考えてる間に寝る時間になって、結局電話出来なかったり。そんなことがしょっ中だった。

「いつも…キスしたり、抱き締めたり、そういうのも俺からだったろ?」

それがイヤなんじゃないけど、と前置きしてから彼は言った。

「だから、隆也は本当は俺に流されてるだけなんじゃないかなって…思ったりも、したんだ」

「そんなこ…っ」

俺は慌てて首を振る。びっくりした、そんなふうに思われてたなんて。

そんなことあるわけない。

ただ恥ずかしかったんだ、自分から求めたり誘ったり、そんなことしてもし引かれたらって思うと、怖くて出来なかった。慎吾さんが求めてくれるから、求められることに安心していたかったんだ。

「大学受かった時もさ、隆也全然動じないでおめでとうって言ってくれたろ?」

だって他に、どう言えばいいか分からなくて。慎吾さんが合格して、それで落ち込むなんてしたくなかった。

「こないだデートした時も全くこれからのこととか触れてくんなかったから、あーもう望みねえのかなって、思った。隆也はこれで終わるつもりなんだなって…」

俺だって思った。

あの日で全部終わるんだって、きれいに終わらせようと慎吾さんは思ってるんだって、
あぁでも、今ですら俺は言えない。この正直な気持ちを、こんな時でさえ口には出せない。

もう、逢えなくなるのに。

今日で本当に、最後、なのに。

「隆也」

目頭が熱くなって、また涙が零れる。なんで俺はこんなに泣き虫なんだ、涙出すより声出せよ。

慎吾さんが俺の名前を呼ぶたびに、彼の温かい声で涙が溶け出す。まつ毛の先で膨らんでは、はたはた落ちていく。

「でも良かった。隆也がそんなに泣いてくれるなら、俺は隆也にちゃんと好かれてたって思って…いいんだよな?」

俺は唇を噛み締める。頬を伝い落ちた涙が唇の端から入り込んで、さらさらしてしょっぱいんだななんて場違いな感想が浮かんだりする。

悔しい、悔しい。

自分が何も伝えられてなかったことが、

慎吾さんを不安にさせてたことが、

お互いが、確信を持てないまま一緒にいたなんて。

今この時になって、漸く相手の本心を確かめることが出来たなんて。

慎吾さん。

慎吾さん。

俺は…あんたが、

「隆也、」

あんたのことが、

「…慎吾さん…」

「うん?」

慎吾さんの指が俺の目尻に触れて、俺の涙でどんどん濡れていく。それでも構わず彼は指を添えて、無意味なのに涙を拭ってくれる。

「俺…っ、おれ、」

慎吾さん。

 

「慎吾さんがっ……、好き、です」

 

慎吾さんの指が、僅かに止まる。

声に出して分かった。俺、自分から好きって言ったの、初めてなんだ。

「遠くに…っ、行…ちゃうのも…分かっ、てる…けど」

「うん」

「あ…、逢えなく、…なる…のもっ…、わ、分かって…る」

「うん」

「でもっ」

俺は、

俺は、本当は、

「これで最後なんて………イヤ……っだ、」

「うん」

慎吾さんは、俺の涙でびしょ濡れになった手で俺の頭を撫でた。そのまま慎吾さんの胸

に抱き寄せられる。慎吾さんのジャケットが、俺の涙で色濃く滲んでいく。

「俺も」

少し屈んだ慎吾さんの唇が耳朶に触れて、低い声が優しく流れ込んでくる。俺の大好きな、胸に染み込む甘い声。

 

「俺も、隆也と離れたくない」

 

堰を切ったように、俺の涙は溢れ出た。

目腫れるよって言われたけど、構わない。慎吾さんが瞼に優しく口づけしてくれるから、涙を舐め取ってくれるから、いつまでたっても泣き止めない。

涙の中に浸かった周囲の景色は、穏やかでゆるい桜色。ゆらゆら揺れて、さっき見上げた空に溶けていくような、あの桜の色にとても似ていた。

 

「…好きです…」

 

もう一度言った。彼もうん、と言った。そうしてそっと俺の瞼から唇を離すと、掠れたように静かな声で、俺の口の中へ直接言葉を流し込むように舌を絡める。

春休み最後の日、

俺は慎吾さんと、初めて両想いになれた気がした。

 

 

 

 end