少しの本音と言葉とキス①
島崎×阿部/最後の日・後日談
※性描写あり
デジャヴ、という言葉を思い出した。
少し前にもこういうことがあった。そう、部活の終わり、田島がラーメンを食いに行こうと提案してみんなで門を出る。俺は最後尾についていて、信号を渡る手前で黄色になった。
そうだ、あの時もそうだった。そして俺は渡れなかったんだ、ちょうどこんな風に、あの時と全く同じ、信号の向こう側にあの人の姿を見つけたから。
「あれっ?」
最初に気づいたのは田島だった。続いて栄口、三橋が「あ」とか「ぅお」とか言って、一番最後に俺が「え」と間抜けな声を漏らした。
信号の渡った先にいた慎吾さんは、ニコニコ笑ってひらひらと手を振っていた。
「桐青の!」
名前は思い出せないのか田島はそれだけ言うと、信号が青に変わるや否や三橋と二人で慎吾さんへ向かって突進していく。そして「また阿部のこと誘拐しに来たのか」 なんてとんでもないことを言いやがった。
「田島っ!お前年上に向かって…」
花井が田島を叱って、慎吾さんから離そうと首根っこを掴む。俺は多分顔を赤くしながら慎吾さんに近寄ると、なんて言っていいのか分からず、ただ動揺した目で慎吾さんを見上げるしか出来なかった。
だって、今日帰って来てるなんて知らなかったから。ゴールデンウィークには帰れないって、そう聞いてたから。
「よ。3週間ぶり」
「…なん、で…」
「バイトの都合がついたからさ、急遽帰って来たんだ」
慎吾さんはいつも通りの優しい柔らかい笑顔で俺を見下ろしてそう言うと、
「というワケで、悪いけどこの子攫ってくな」
俺の肩に手を置いて田島達に向かってなんの悪気もなく言ってのけた。
「えーっ!?またかよー!!前も阿部盗んでったじゃん!」
「うんごめんね、悪い」
ちっとも悪いなんて思ってない口調で慎吾さんは謝る。田島はナットクいかねーと喚いて、絶対阿部とラーメン行くんだって言ってきかなかった。つーか、何でお前はそんなに俺とラーメン食いたいんだ。
「ラーメン?どこの?」
「あっこのマンションの裏手にあるとこ!前に行こうってなった時阿部だけ行けなかったんだよ、誰かさんに連れてかれたから!」
田島にしてはイヤミを含んだ言い方で明らかに慎吾さんを責める。慎吾さんは苦笑しながらそっか、と言ってチラリと俺を見た。
「でも隆也、そのラーメン屋なら行ったことあるよな」
「っ!」
「え?阿部行ったことあんの?」
何を言い出すんだこの人は。俺は驚きの余りとっさに返事が出来なかった。
「だってあそこだろ?学割が効くっていう。ほら、前に隆也と…」
「わわっ!いっ、いいから!!黙ってくださいっ!!」
「ちょ、阿部っ!チャリッ」
何を言われるか分からなくて慌てた俺は、自転車の存在をすっかり忘れて両手で慎吾さんの口を塞ごうとしてしまった。栄口の声が聞こえた時にはもう遅い、と思ったけど、慎吾さんは倒れかけた自転車を左手で支えて右腕で俺の身体を引き寄せた。みんなの見てる前でなんてことするんだと思うけど、悔しいことに声が出ない。拒絶の言葉も出てこない。
「大丈夫?」
「っ…、…ぅ」
「阿部っ、ソイツから離れろ!攫われちゃうぞ!!」
「あ、阿 部くんっ!」
田島と三橋の必死の牽制にも慎吾さんは全く怯まず(まぁ子供の威嚇みたいなもんだから全然怖くないけど)、寧ろ「じゃあ俺も一緒に行こうかな」とか言い出したので、俺はもう勘弁してくれと思って溜息を吐いた。
駅前のビジネスホテルに部屋を取ったという慎吾さんの後についてエントランスに入る。フロントから見えないように慎吾さんの影に隠れるようにして並んで歩いていると、
「もっと近寄って」
そう言われてまた肩を抱かれた。身体の中を電流がピリッと走って、踏み出す脚がどちらか突然分からなくなってしまう。顔が熱い、目がチカチカする。
「どした?」
「っ、いえ…」
なんとかエレベーターに乗り込むと、慎吾さんが8階のボタンを押した。
1階から2階への間隔がやけに長く感じる、呼吸の音すら聞こえそうな空間で、出来るだけゆっくり、バレないように息を吸って吐いた。
何も考えないようにと考えながら目の前の肌色に光る丸いボタンを見つめていると、隆也、と名前を呼ばれた。そして顔を上げると、
「っ…、」
俺の乾いた唇と慎吾さんの柔らかい唇が触れて、むに、と押しつけられる。びっくりした俺は唇を開くことも引き結ぶことも出来ず、ただその場に立って慎吾さんからの触れるだけの口づけを素直に受ける形となった。
チン、という軽い音が8階到着を知らせ、扉が開く。それと同じ緩やかさで慎吾さんの唇が離れて、ごめん、と謝られた。
「部屋まで待てなかった」
人を食ったような余裕の笑みではなくて、本当に思わずという苦笑じみた言い方だったので、あぁ、本当に、本当なんだ、と分かった。
慎吾さんも、嬉しいって、思ってくれてるんだ。
あぁ、また、心臓が痛い。
カードキーを一旦差し込んでランプが赤から緑に変わると、慎吾さんはそれをスッと抜いてドアノブを回した。どうぞ、と促されお邪魔しますと言ってから一歩中に入ると、慎吾さんは小さく笑った。
「荷物はそこの台に置いて。んでコレ、はい」
慎吾さんはドレッサーの引き出しから備え付けの浴衣を取り出すと、それを俺に手渡した。
「先にシャワー浴びといで。疲れてるだろ」
「えっ、い、いいです!慎吾さんのじゃないスか」
「いいよ。俺寝間着持って来てるから」
「でもっ」
慎吾さんが着るべき浴衣を俺が着るわけにいかないと俺は必死で返そうとした、すると慎吾さんはにやりと笑って、
「じゃあ何も着ないでベッドに入んの?」
「なっ…、」
「まぁ、俺は全然構わないけど」
そう言ってスイと腕を引こうとする。俺は小さく「あ、」と声を出して慎吾さんの浴衣に手を伸ばし、しっかとそれを掴んでしまった。慎吾さんは満足げに微笑うと、「風呂行っておいで」と俺の腰に手を当てた。
勢いよく注がれるシャワーの湯で髪をガシガシ洗いながら、ふと下着がないことを思い出した。だって言い訳じゃないけど、今日慎吾さんが帰ってくるなんて知らなかったし。知ってたらちゃんと…とそこまで考えて、湯気で湿っていく頬がカッと熱くなるのを感じた。
ちゃんと、なんなんだよ。だってホテルに泊まるなんて聞いてなかった。自分ももしかしたら、このまま…泊ま、るのか?という不安と、それを喜んでる心が頭の中でぐるぐる走り回る。
でも、そうだ…よな。
3週間ぶりに逢えたんだもん、俺だって…一緒にいたい。慎吾さんとたくさん話したいし、触れたい、と思う。
『触れたい』という感情の真意を自覚して、寒くないのにぶるっと身体が震えた。
バスタオルは2枚あったから1枚借りて、真っ白で少し固めのそれで全身を拭いた。トイレの蓋の上に畳んで置いておいた浴衣を広げて、狭いユニットバスの中で着る。糊のきいた浴衣はパリッと清潔な肌触りがしたけど、火照った身体に生地が湿る、吸い付くようにひっついてもどかしい。もっと着崩したいけど下着を穿いてないから、前が広がらないようにきっちりと着た。
「お…お先に頂きました」
「ん。早かったな、……」
風呂から出た俺を振り返った慎吾さんは、なぜか言葉を失くして黙り込む。俺が首を傾げてどうかしたのか訊こうとすると、ゆっくりと立ち上がって俺の肩に両手を乗せ、そして俺の耳朶はやんわりと噛まれた。
「ひっ…!?」
思わず小さな悲鳴を上げてしまい肩を竦める。慎吾さんはちゅう、とわざと音を立てて俺の耳を吸うようにキスをした。
「浴衣いいね」
「え、は、はい…?」
言われている意味が分からなくて曖昧な返事になる俺に、慎吾さんはとびきり甘い俺の大好きな笑顔で、
「イイコで待ってて」
そう言って俺の頭をポンと撫でてから風呂に入って行った。
「……は、ぃ…」
肺に詰まってなかなか出てこなかった声がやっと形になる、だけどその時には、もう慎吾さんはいなかった。
「…はー」
髪を軽く乾かし終えてから、まだ皺ひとつないベッドに顔から倒れ込む。疲れた。めちゃくちゃ疲れた。確かに練習はハードだけど、慎吾さんといる時の方がもっと違う部分が疲れる。
「……イヤじゃ…ねぇんだけど…」
ぽつり、声が半開きの唇から漏れた。
イヤじゃない、疲れるけどしんどいんじゃない。慎吾さんといるとどきどきしてそわそわして、自分がどう見られてるのかとか気になるし、慎吾さんの一挙手一投足にいちいち心臓が高鳴る。久々に逢ったから、尚更緊張するんだろうな。
「……」
冷たいベッドカバーが熱い身体を冷やしてくれるみたいで気持ちいい。このまま眠ってしまえたら最高なのに、壁の向こうから聴こえてくるシャワーの音とかコックを捻る音とかにいちいち耳が反応してしまう。もうすぐ、もうすぐ慎吾さんが出てくる。そう思うと眠気なんか全くやってこなかった。
「あーあっちー、隆也暑くないの?」
風呂から出て来た慎吾さんは、バスタオルを腰に巻いただけの格好で、頭をタオルで拭きながらエアコンの電源ボタンを押した。
「良かった?」
「あ、ハイ。俺も暑いです」
慎吾さんは室温設定は25℃にして、冷房でなく送風にした。
「暑いのによくそんなきっちり着れるなぁ」
そんなこと言われても、俺だって本当はもっと楽な格好がしたい。下着さえ穿いてればそんなに恥ずかしくないけど、それがないんだから仕方ない。
「明日も練習あるよな?」
髪を乾かしながら慎吾さんは訊いてきて、俺はベッドでテレビを観ながらハイと答えた。ドライヤーの音でテレビの声は聴こえない、だけどハナから内容なんて頭に入ってないから、聴こえなくても全然構わない。
「何時から?」
「7時からです」
「げっ、はえーなぁ。んで夜までみっちりだろ?」
「普段は5時から朝練だから、7時開始なんてありがたいほどゆっくりですよ」
「マジで?西浦すげーなぁ」
あいつらにもっと頑張れって言っとかないと、と慎吾さんは笑った。
「じゃあ明日は6時にここ出ようか」
「え?」
ドライヤーをデスクに置いて、コンセントはそのままに慎吾さんはベッドに来た。緊張して動けない俺の隣に腰かけると、人差し指を床に向けて俺バイクで来てるから、と言う。
「こっからだとバイクで隆也ん家まで15分もかからないし、隆也が家に入って部活の用意して俺がまた送れば、7時前には余裕で学校着くだろ?」
「え、で…も、チャリが、」
「帰りまた迎えに行くから、俺が隆也のチャリ乗って。んで隆也が乗って帰れば問題ないだろ?ここと西浦は歩ける距離だし」
慎吾さんの計画は確かに合理的で、反論の余地はなかった。ただ慎吾さんに早起きをさせてその上バイクで送ってもらうのには申し訳なさからくる抵抗があったけど、でも確かに、今夜泊まるためにはそうするしかない。…下着、ないし。
俺がこくんと頷くと、慎吾さんはヨシ、と言ってベッドから腰を上げてテレビを消した。同時に、部屋の中までがプツンと途切れたように無音になる。
「電気どうする?」
「っ、…」
さっきまで出てた声がまた出なくなって、俺はこくこく首をタテに振った。消してください、っていう意味を汲み取ってくれた慎吾さんは、了解、と楽しそうに笑って部屋の灯りを消した。