KWNB624

二次小説置き場。ブログタイトルから連想できる方のみどうぞ

7月7日①~本山と阿部~

 

大学生設定

 

最後の講義を終えて大学を出ると、雨は上がっていたが窒息しそうな湿気に本山は思わず顔をしかめた。現役の頃はこんなこと大して気にならなかったというのに、冷房のおかげで汗を掻かない快適な生活に慣れた身体はもう1年前とは大きく変わってしまっているのを実感する。掲示板の前で偶然会ったクラスメイトと立ち話を終えた頃には、視界の全てが濁った薄青色の世界になっていた。

大学に入ってようやく3ヶ月が過ぎたところで、慣れてもいないが新鮮でもなくなった日々の授業とバイトの繰り返しに、こんな天気だと気が滅入るのも仕方ないと小さく溜め息を吐く。特に目的はないが、このまま家に帰るのも何となく面白くない。去年までよく寄っていたCDショップにでも行こうかと、下りる駅を2つほど乗り越した。

 

「…あ」

まさかの偶然。まさかの人物。

あまりに予期せぬ再会で、試聴用のスピーカーを慌てて外した拍子にバラバラバラとCDを落としてしまった。

「大丈夫ですか」

「あっごめんっ、いや大丈夫、ご、ごめん」

阿部だった。1ヶ月前の誕生日に偶然街で逢った阿部に、再び逢ってしまった。こんなことあるんだろうかと今更ながらだんだんとパニックになりかける。

「えっと、…久し、ぶり」

努めて気さくな感じを装って挨拶すると、1ヶ月ぶりですねと阿部は微笑んだ。覚えてくれていたことに胸がいたずらに高鳴る。

「あ…っと、…今日…は」

「火曜はミーティングの日なんです。この前もそうでしたよね」

「あ、そうなんだ」

全然意識していなかったが、そう言われてみればあの日も今日と同じ講義に出ていたことを思い出す。五限の必修授業がまさかこんな幸運を運んでくれるなんて、かったるい思いをしてでも出て良かった、と自分の真面目さに感謝した。

「あ、のさっ、」

今日は、今日なら大丈夫。約束もないし用事もない。

「もし今日予定ないなら、…こないだ…の…」

リベンジを、と言うと、阿部は「あぁ」と思い当たったように目を見開いて、それから「ぜひ」と言って笑った。

「じゃあさ、行きたい店あるんだけど、そこでいい?」

「はい、…あ…」

阿部がふっと空を見上げたのでつられて顔を上げると、鼻の頭に強い水滴が落ちてきた。

「あー、降ってきたな」

「今日は降ったり止んだりッスね」

阿部が素早く傘を広げたのを見て、本山も手元の自分の傘をぱちんと広げた。これが300円傘じゃなかったら、もっと大きな傘だったら、そんな大それた無意味な妄想に自嘲してしまう。こうして逢えただけで、今から一緒に食事に行けるだけで怖すぎるくらいの幸運なのに。

駅前飲食ビルの二階に上がり、3つある店のうちダイニングバーの扉を本山は開けた。

『本日は七夕スペシャルディナーをご用意致しております』と書かれた黒板のメニューを見ながら阿部が後ろについてくるのがくすぐったい。

「いらっしゃいま……あれっ」

「いらっしゃー……え、えぇ~?」

「あ、」

牽牛をイメージしたアオザイを着た慎吾と山ノ井が、本山の同伴者に驚いた声を上げた。ぱっと自分を見上げてくる阿部にいたずらっぽく笑うと、阿部も同じようにくすりと笑った。

「いらっしゃいませぇ~」

慎吾に笑顔で胸ぐらを掴まれても、優越感満々ですという嫌な笑みを隠しもせず本山は慎吾の手をぐっと掴み返す。

「おーい、俺客、客」

「なぁにちゃっかり一緒に来てんのぉ?セツメイセツメイ」

「たまたま逢ったんだよCD屋で。わざわざお前らのためにココ来たんだからな、感謝しろよ?」

これが慎吾や山ノ井だったら、まず絶対他の連中になんて逢わせないだろうと本山は思う。せっかく二人で過ごせるチャンスなのにとも思うが、だが今日は阿部を独り占めするよりも、彼に好意を持つ野球部の仲間と彼を囲みたいと思ったのだ。じめじめした気候のせいで気分が沈んでいたからかもしれない。

「まぁゆっくりしていきなよ、俺上がんの8時だからさ」

慎吾の後ろから近づいてきた山ノ井がひょっこり顔を出して言った。

「え、ヤマちゃん今日俺と一緒にラストだろ?」

「あー、新人くんに代わってって交渉してきた。ゴメンネ慎吾」

「ちょ、なに勝手にっ!?」

「だって阿部くんと二次会行きたいもん」

「俺だって行きてーよ!」

「じゃあ誰かに代わってもらえば~」

どうりで出てくるのが遅かったはずだ。いつもならふらりとやってきてはいつの間にか誰よりも阿部に近い距離をキープしているというのに、奴は瞬時にこの後の予定を立てて厨房に根回しをしに行ったのだろう。相変わらず状況判断が早い、そしてちゃっかりしている。

「さっ、じゃあお席へ案内しましょうか。俺ら今日は牽牛なんだー」

だから裕史と阿部くん織姫ね、と言うと山ノ井は阿部の傘をスッと取り、空いた阿部の手を掬うように指先を軽く握った。

「どうぞこちらへ、織姫」

「なにヤマちゃん勝手にイイトコ取りしてんの」

「つか手ェ握る必要ねーだろ」

噛みつく二人の声など聴こえませーんとばかりに無視をして、山ノ井は阿部を窓際の席へと促す。残された慎吾と本山はまさかあんな風に手を握る気には死んでもなれないので、本山は普通に歩いて阿部の向かいの席へ座った。