7月7日③~山ノ井と阿部~
首尾良く早番でバイトを終えた山ノ井は、ちょうど会計を終えた本山と阿部と合流すると慎吾を置いて何のためらいもなく店を出た。ホント非情だな、と本山に言われても全く良心の呵責など感じずに、鼻歌を歌いながらさくさく歩く。阿部をお茶に誘い、せっかく雨も上がったことだしと少し歩くことにした。
「8時半かー。あいつら終わった頃かなぁ」
本山が腕時計を見てぽつりと漏らす。誰のことか、山ノ井はもちろん阿部にも伝わっているだろう。どこのチームも目前に迫った夏大に向けていよいよ練習も大詰めだ。つい一年前は確かに自分達もそうだった。
「阿部くん頑張ってね。応援してるから」
「母校の応援はいいンスか?」
「あー、桐青は俺の分も裕史が応援してくれるから、俺は気兼ねなく阿部くんを応援するよ~」
適当っぽい言い方に阿部も軽い口調であざっす、と答える。
「あ」
ポケットが震えて、携帯を取り出した阿部が声を出した。ちょうど今話題にしていた人物からの電話に不思議そうな表情で出ようとするのを、横から山ノ井が手を出して遮る。
「貸して」
「?」
阿部は素直に従い山ノ井に携帯を渡す。受信画面にはっきりと表示されている『仲沢利央』の文字を見て山ノ井はニヤリと口元に笑みを浮かべた。
「はいは~いヤマちゃんで~す」
『っぇ…?…え、あ、ヤマサン!?』
想定外な人物が出たことで電話の向こうの空気は変に止まった、それが受話器からも伝わってきて、必死に笑いを堪える。
『え、ちょ、ヤマサンでしょ?なんでぇ?』
そして利央のイテッという声がしたと思うと、さっきまでの高い声ではなく今度は低い声が『なんでヤマサンが阿部くんのケータイに出るんスか!』と怒鳴りつけてきた。
「人に名前を訊くときは自分から名乗りましょう」
『訊ーてません!つかヤマサンでしょ、名前なんかイヤってほど知ってます!そんでなんでヤマサンが阿部く』
「ていうかなんでこのタイミングで阿部くんにかけてくんの?」
『え?いや、だって慎吾さんが…っていうかだから!なんでヤマサ』
そこで会話は終了した、もちろん山ノ井から一方的に。
「誰?」
「ん~、なんか利央と準太?つか慎吾が黒幕だ。アイツ友達を売りやがって…」
「まぁ最初に売ったのヤマちゃんだしな」
自分が上がれなかったからってインケンよねーとオネェ言葉でふざけていると、再び阿部の携帯が震え出した。
「しつこいよ!理由知りたかったら裕史にかけて!」
「え、ちょっとヤマちゃん」
矛先を本山に向ける役割だけ終えると、今度は電源を長押しする。しばらく電源つけない方がいいよとにっこり笑って阿部に携帯を返すと、山ノ井は自分の携帯の電源も落としてしまった。そうしているうちにも本山の携帯が鳴り、律儀な彼は不憫にも糾弾されるために携帯に出た。案の定、携帯からダダ漏れの喚き声が阿部を出せ阿部はどこだと噛みついている。
「あーハイハイ分かったよ!どーせお前らあのコンビニ寄るんだろ?そのうち行くから待っとけよ」
そのうちっていつッスか!という声が聞こえてきそうな本山の提案に、だが山ノ井も反対はしない。夏大直前の今、後輩達に気合入れろよの一言でも言ってやりたい気分だったからだ。
「でもコーヒー飲んでから行こうね」
「え、…」
返事を待たずに、スッと阿部の手を取る。なぜなのか分からない阿部がちらりと山ノ井の顔を見るが、山ノ井は前を歩く本山に気づかれないように立てた人差し指を口元に当てて楽しげに笑ってみせた。
「俺今日は彦星だって言ったでしょ?」
「?はぁ…」
「んで阿部くんは織姫だからー」
「いや、ないでしょ」
まぁいいからいいから、と言って少し強く握り直す。阿部は抵抗しない、だから、離さない。
「あーあー、今短冊があったら絶対願い事書くのになー」
「なんて書くんですか?」
「裕史があと1時間は電話につかまってますようにって」
なんスかそれ、と言って阿部は噴き出す。結構本気なんだけど、と言ってもきっと阿部には通じない。
「まぁホントの願い事は他にあるけど」
「ホントの?」
うん、と山ノ井は頷くと、
「阿部くんのこと隆也って呼べますように。って」
驚いた顔の時は幼くなるんだなぁ、と、目を見開いた阿部の表情を見ながらそんなことを考える。暫し絶句していた阿部はやがてさっと顔を俯かせ、
「……ンなの、今すぐ叶えられるでしょ」
今度は阿部の方から、手を少しだけ握り返される。驚かせるのは得意だけれど、驚かされるのには不慣れで困った。
「そ?じゃあ…」
暗闇で分かりにくいが、恐らく赤くなっているであろう阿部の耳に唇を近づけるため、山ノ井は握った手を少し強引に引き寄せた。
end