はじめての
川島×阿部/川島様お誕生日話/社会人設定
阿部が川島から彼女と別れたと聞いたのは6月7日の夜のことだ。しかも9日が誕生日だから前夜祭でお祝いしてねと電話で言われて、そんなこと急に言われてもと怒りたかったが
『早くタカに逢いてー』
そんな、本当に楽しみだと言わんばかりのわくわくした声を聞かされては、もう阿部は何も言えなかった。
というわけで翌日、阿部はバイトを風邪で休むことにした。普段の勤勉な仕事ぶりが幸いしてあっさり信じてもらえたことに少しだけ胸を痛めながらも、阿部は会社帰りの矢野と川島との待ち合わせ場所である居酒屋へと向かったのだった。
「はいじゃあ、コウちゃん誕生日おめでとー!」
「おめでとうございます」
「おー!あっりがとー」
生中で男前に乾杯をして半分くらいグビグビと飲み、それからプハーッと口を離してジョッキを置くと、全員で「オッサン!」と声を出して笑った。
「やべー、マジでもうオッサンだぞこれ」
「あーうめぇ!これ以外の飲み方ができねぇ!」
阿部に至っては半年前の誕生日からやっと飲酒OKになったばかりだというのに、すでにオッサン飲みが板に付いていると川島に笑われる始末だ。まぁ自覚はしている。誰の飲み方がうつったかと言えば、目の前にいる二人以外にいないのだから笑われる筋合いはないのだけれど。
「けどひっさびさに飲むわー、もう今日潰れていい?」
「明日会社だろ。死ぬぞ」
「ざーんねーんでーしたー!ウチの会社は誕生日休暇が取れるんでーす」
「げっ!じゃあお前明日休みかよ!?だから絶対今日がいいっつったんだろ!」
まあまあカタいこと言わずに、とへらへら笑いながら川島は早速ビールをおかわりする。
「タカは明日学校は?」
「ありますけど」
「けど一限じゃねーんだろ?」
「はぁ、まぁ…」
「よーし決まりっ!今日は飲むぞーっ」
川島は上機嫌でまたビールを一気飲みした。
「つかさぁ、お前なんなんだよ」
料理が一通り運ばれてきて阿部が目の前のコロコロステーキに心惹かれていると、枝豆を食べていた矢野が川島に言った。
「何が?」
「いやいや、何がじゃねーだろ。誕生日直前に別れるって、なんかあったのか?」
阿部もそれは気になっていた、が、親友である矢野が訊かない以上自分が訊くわけにはいかないと思い敢えてその話題はせずにいたのだ。川島は「あー、」と言いながら阿部と目を合わせると、 阿部の箸が摘んでいるステーキを見てからあーんと口を開けた。阿部はちょっとだけムッと唇をへの字にしたが、そのまま川島の口へと箸を運ぶ。それをむぐむぐと美味そうに食べながら、
「だってさー、彼女出来た途端おまえらすっげーつき合い悪くなったじゃん」
「俺らのせいかよ」
そうだよ、と言ってもう一度阿部にあーんをする。肉がなくなることを警戒した阿部は、今度はステーキに添えられていたニンジンを食べさせた。
「バレンタインはしょーがねーとしてもさぁ、土日とか連休とかも遊び誘ってくんねーし」
「いやー、なんか邪魔すんのも悪ィかなって思って」
「たまに遊んでてもやたらと彼女いいのかとか気にしてたじゃん。タカも!」
「…気ィ遣ってたんスよ」
「だろ!?だからそれがヤだったの!あぁこのままじゃアツシとタカの中で俺はいなかったことになっちまうんだな~って俺は思ったね。危機を感じたワケよ」
確かに、川島に彼女が出来てからは阿部と矢野はもっぱら二人で会うようになった。とは言っても金曜に飲みに行ったり休みの日にはどちらかの家に泊まって翌朝早くからドライブに行ったりと、ただ暇人同士で休日を過ごしていただけなのだが、まさか川島が疎外感を感じているとは申し訳ないが露ほども思っていなかったのである。
「それで彼女と別れたのかよ?」
「いやフラレたんだけどね」
「じゃあちょうど良かったッスね」
「結果的にはな!」
からかうつもりで言ったのに、川島が嬉しそうにニカッと笑うので、なんだか変な気分だ。
「じゃあ俺ここで」
店を出ると川島はコーヒーが飲みたいと言ったが、明日朝から取引先に直行しなければいけない矢野はここで先に帰ることになった。
「悪いなタカ、送ってやれなくて」
「子供じゃないんだから一人で帰れます」
「そっか、んじゃ気をつけてな。コウ、頼んだぞ」
「へーい。今日はありがとなー」
矢野が改札に入っても手を振っていた二人は、彼の背中が見えなくなってからやっと再び歩き始めた。
くつろぎたいという川島の要望に応えて、コーヒーはテイクアウトにして川島の部屋に泊まることにした。川島の家は阿部の家よりも学校に近くて寧ろ便利だから、断る理由はない。
「あー、やっぱ久々に逢うと楽しかったな!誰かさん達は別に久々じゃなかったかもだけど~」
「案外根に持ちますよね川島さん」
「それくらいショックだったんですぅ」
ふざけた口調で嫌味を言いながら、川島は柔らかく阿部の手を取り、自然に指を絡めた。一気に右手が緊張するが、周囲は住宅街で誰も歩いていない。川島の顔を見るとにっこりと微笑まれて、阿部は何も言えず振り払うことも出来ず、ほんの少しだけ指先を曲げた。
「……そんなに、寂しかったんですか?」
「え?」
手を繋いでくるほど、そんなに川島を不安にさせるほど、自分と矢野は川島を除け者にしていただろうか。
「そりゃ寂しかったよ。お前らヒデーんだもん」
この薄情者、と言われたような気がして納得がいかない。だって、
「ひどいのは川島さんでしょ」
「なんで?」
「川島さんに彼女が出来て、……俺だって、置いてかれたみたいな気持ちしましたよ」
今までずっと一緒につるんできたのに、たくさんバカもやってきたのに、ある日突然こんなことって起こるんだなと、頬をぱちんと叩かれたみたいなショックと動揺を覚えた。いつも一緒にいるのが当たり前で、離れるなんて、他の誰かのところに行ってしまうなんて考えたこともなかったから。
「矢野さんと二人でいても…やっぱり川島さんの話題になるし。だけど川島さんが彼女といたいならそれを邪魔する権利は俺にはないし…って、これでも必死に我慢してたんです」
「タカ」
「俺だって寂しかったんですからね」
ああもう、こんな子供みたいなこと、言いたくなかったのに。川島のくるくるした大きな目がびっくりしたように自分を見ているのを感じて、恥ずかしくて顔を見返せない。 静かな道を、しばらくお互いどちらも声を出さずに無言で歩いた。
「…ゴメン」
沈黙を破ったのは川島の方だった。
「寂しかったっつーのはホントだけど、他にも理由あった」
「え?」
川島が立ち止まったのに気づいたのは繋いでいた手が引っ張られたからで、そのままよろめいて川島にトンとぶつかる。川島は阿部の肩をもう一方の腕で抱くと、頬を擦り寄せて阿部の耳元で囁いた。
「お前らが二人で仲良くしてんの、ヤだったんだ。タカを誰にも…アツシにも取られたくないって思った」
矢野にも、という言葉の意味が理解出来なくて、阿部は「川島さん?」と間の抜けた声を出す。とりあえずコーヒーが冷めるし誰か来たらさすがに恥ずかしいので、しっかり抱きしめられた今の状態に居心地の悪さを感じもぞもぞと抵抗した。
「か、川島さ…、」
「あとさぁ、お前いい加減その川島さんってのやめろ。公さん大好きーって言ってみな?」
「は?後半の意味が分かりません」
「練習練習。ホラ、公さん大好きは?」
「あのねぇ」
「タカ。時計見てみ」
突然替えられた話についていけない。だが川島はやっと阿部の拘束を解くと、ホラと言って腕時計を阿部に見せた。
「あと1分で日付変わる。分かる?」
「あ…」
あと1分で、9日になる。彼の誕生日になる。
「お誕生日リクエスト。公さん大好きーって感情込めて言うこと」
「………」
安上がりと言えば安上がりだが、疎外感の反動は怖いなと阿部は思った。そんなこと言葉にしなくたって、矢野も阿部も川島のことはとても大切に思っているのに。それでも川島は言葉でちゃんと確認したいのだろう。
「カウントダウンなー。10、9、8…」
子供みたいにワクワクした表情で秒針を見守る川島がなんだか可愛く見えて、これからひとつ年を取るというのにこの人は無邪気なままだなぁと思う。阿部の表情は、知らず柔らかく緩んだ。
「3、2、1、」
「公さん、大好きです」
やっぱりちょっと恥ずかしいなと思いながらもちゃんと川島の目を見てそう言うと、彼は嬉しそうに満面の笑みを浮かべて、
「俺も好き。」
ちゅっ。と、至近距離に迫った川島の顔に驚くヒマもなくそんな可愛らしい音がしたかと思うと、阿部の身体はまた強く強く抱きしめられた。
end