KWNB624

二次小説置き場。ブログタイトルから連想できる方のみどうぞ

君と未来の想い出を③

ヤマサンと慎吾さんは案の定ウチに入り浸るようになり、予想どおり和室は二人の寝床になってしまった。

慎吾さんは一人じゃ泊まらないが、ヤマサンは一人でも泊まる。何なら俺がバイトに行っている間もずっと俺の部屋でゴロゴロしていることがしょっちゅうだった。あの人は本当、どこにでも港を作る猫みたいな人だ。

慎吾さんも泊まる時は大抵利央を呼び出そうとなり、そうすると慎吾さん達は必ず阿部くんも誘えと利央に命令していた。誰が家主か分かったもんじゃない。けど、俺自身もう彼に対する苦手意識は消えたので、彼が呼ばれてもいちいち反論することはなくなった。

金曜一限の授業も、変わらず彼とは隣同士に座るようになった。特に仲良くなったワケではないが、彼を避けていた自覚はあるので、勝手に狭量な自分の罪滅ぼしとして俺から彼に歩み寄る努力をするようにしていたのだ。

 

ある日学校から戻ると、ヤマサンと慎吾さんがアパートの前の公園でキャッチボールをしていた。乾いた弾ける音が、アパートの壁に反響している。

準太も来いよーと誘われたので、面倒臭げに返事をして、だけど玄関に入るなり靴箱に放り込んでいたグローブを取り出して俺はすぐに階下に降りていった。

単なるキャッチボールだけど、気分は清々しかった。まるで現役時代の昼休みに制服のまま校庭で遊んでいた時のような、純粋な高揚感があった。

「あーっ、なんか遊んでるー!」

間抜けなアホの声がした方を見ると、利央と阿部が並んで歩いてきた。今日もヤマサンから命令が下ったんだろう。 俺達を見ていいないいなと利央は騒いだ。

「て言うと思って、和己からもらったやつ持ってきたよーん」

ヤマサンはそう言うと、砂でうっすら茶色くなったスポーツ用品店の使い古しの袋からキャッチャーミットを取り出した。

「えっ和サンの!?ヤマサンもらったの!?」

「もらったっていうか、預かった?どうせ野球する時は俺らとだろうから、そん時まで持っといてくれって」

利央はやったーと言ってミットに手を入れ、懐かしい感触に破顔した。

「阿部くん、もう一個あるよ」

どこから調達してきたのか、用意周到に慎吾さんは彼にもミットを渡す。彼はまさか自分の分もあるとは思っていなかったようで少し戸惑っていたが、慎吾さんからミットを手渡されると目をきらきら輝かせてそれを見ていた。

本当に野球が好きなんだな、俺も笑顔になったのを自覚する。

「よし。じゃーまず利央、座れ」

「あいよっ」

利央とは中学の頃から組んでいるから慣れたもんで、阿吽の呼吸で投げられる。しばらく利央と肩慣らしをしてから、慎吾さん達に混じっていた彼に声をかけた。

「阿部くん、受けてくれる?」

彼は俺の誘いに驚いて振り向き、いいんですか?と訊いてきた。本当に嬉しそうな顔で目を輝かせて俺を見つめるから、一瞬どきっとさせられる。

何往復かボールをやり取りして、彼は座った。防具はないから、もちろん俺も本気で投げることはない。だけど彼は、呼吸を整え真っ直ぐ俺の目を見て左手をスッと伸ばして構えに入った。

ああ、やっぱり、投手と捕手っていうのは特別な関係なんだなと実感する。

こんな即席のバッテリーでも、瞬時に捕手は投手を受け入れようとして、投手は捕手に信頼を置こうとする。

球を捕手のミットに届けるただそれだけのことだけど、単なるキャッチボールとは全く違う空気を作り出す。

俺の投げた球をしっかり捕ってくれるたびに、俺は捕手に心を許していく。俺の好きなコースや好きな球、俺がどうしたいかを汲み取ってくれるたびに、理解してもらえたという喜びが俺を高揚させて、自信につながる。俺は捕手にはなれない、根っからの投手なんだと再確認した。

ミットに球が吸い込まれる音は、何度聞いても快感だ。

ナイピッチ、と誰かが言った。それに呼応するようにまたナイピーと誰かが言う。

少し照れくさかったけど、気持ちいいと純粋に思えた。

そうだ投げるって楽しいんだ、野球って楽しいんだ。俺は、野球が好きなんだ。

俺の球を受けるごとに紅潮していく彼の頬を見て、彼の澄んだ瞳を見て、彼に対する感情がクリアになっていくのを感じた。

時間を忘れて汗だくになるまで遊んでいた俺達は、多分全員が久々に爽やかな気持ちになっていたと思う。その足でスーパーに向かい、今晩の食材を買って(酒と店屋物だけど)、みんなで俺の部屋に戻った。俺と彼との間にいたぬりかべは、きれいに姿を消していた。

 

久々のキャッチボールにテンションの上がった俺達は、早速試合を組もうとなってこないだの飲み会のメンツに連絡をした。

利央が田島達も呼ぼうと言って、久々に元・西浦と元・桐青の寄せ集めメンバーで試合をすることになった。

俺や慎吾さん達にとっては因縁の西浦戦だが、向こうにとっては何度も桐青の新チームと練習試合をしていたから、あの夏大のことはそれほど大きなことでもないだろうと思った。が、田島は「それは違う」と大きく首を振った。

西浦にとってはあれが初の公式戦での初勝利、しかも倒した相手が前年の優勝校だったから、あんなに感慨深い試合はそうそうないと言われた。複雑だけど、ありがたく受け取っておこうと慎吾さんは苦笑していた。

久しぶりの野球、久しぶりの試合、久しぶりに走り回った。

大学でも真剣に野球をやっている奴らはいくらでもいる。俺達の野球はもはやお遊びレベルだ。だけど俺にとっては本当に楽しいと思えるゲームだったし、何より、野球を好きな奴らと一緒に笑い合って走ることが嬉しかった。和サンの言った言葉の意味がなんとなく分かった気がした。

試合後は座敷のある餃子屋で乾杯して、解散後は俺の家で二次会となった。

「えっ阿部くん来てないの?なんで?」ヤマサンが不満げに利央を責める。

「なんでって、そりゃ今日の流れなら西浦の奴らと帰るでしょお」

尤もな反論をする利央を少しだけ不憫に思いながらも、助け舟は出さずに俺は笑っていた。さすがに今日は無理だろう、なんせ独占欲の超強そうな挙動不審のピッチャーがすっげぇ幸せそうに投げてたからな、絶対離してもらえてない。彼も全然まんざらじゃないだろうし。

今日の試合でも相変わらず顔芸のすごかったあのピッチャーを思い出して、俺はまた肩を震わせる。

「そういや準太も和己スキ過ぎてやべーって思ってたけどさ、西浦のピッチも相当やばいな」慎吾さんが笑いながら言った。今日の試合を思い出しているんだろう。

投手ってみんなあんなもんなの?と慎吾さんが利央に訊く。何で俺に訊くのぉって利央が膨れて、全員が笑った。俺の和サンに対する態度と利央に対する態度のあからさまな違いが分かっているからだ。

他の投手がどうかは知らないが、俺は捕手の和サンが好きだったし、尊敬していた。三橋も恐らくそうだろう、阿部隆也は自分だけの捕手、自分だけを見てくれる捕手、誰にも渡したくないし、自分以外見てほしくない。三橋の気持ちはよく分かる。

「じゃあ阿部くんの最愛の投手は三橋なんだね~」

ヤマサンが言った。多分そうだろうな、と俺も思った。和サンが俺を最高のエースだと言ってくれたように、彼もきっと三年間バッテリーを組んだ三橋を最高の投手だと誇りに思っているだろう。だってそう思われてこそ、投手冥利に尽きるってもんだ。

「おっ、始まってるじゃん」

誰かがテレビを点けて、プロ野球の試合にチャンネルを合わせた。そこに映った投手の顔は、俺と同い年で高二の春からすでに注目を集めていた榛名元希だった。

榛名は高校野球での成績こそ華々しいものではなかったけど、異色の才能は誰が見ても明らかで、当然のように高校卒業後はプロに入った。

入団直後から一軍で投げているあいつは、もう俺とは全く世界が違う。同じ時代に甲子園を目指していたのが不思議な感じすらする、ここまですごいと妬む気にもなれない。

「あ、そういえば」

暫く画面の榛名を睨んでいた利央が、ふと思い出したように言った。

「阿部くんって榛名と中学時代シニアで一緒だったんだって。田島が言ってた」

「へぇ~そうなんだ。仲良いのかな」

シニア時代はバッテリー組んでたみたいだけどぉ、と説明する利央は、「でも榛名のことキライだから一緒の高校行かなかったんじゃないの」と棘のある言い方をした。

確かに、あの榛名と中学から組んでたなら、高校も同じところにいけばうまくいけば一年からレギュラーを獲れた可能性は高い。まぁ西浦も新設だったから、確率で言えば西浦の方がずっと高いけど。

「利央、お前今度阿部くんにお願いしてみたら?榛名に会わせてって」

「なんで!?ぜってー会いたくねーしっ!」

利央の榛名嫌いを知っている先輩達が利央をからかい、心底嫌そうな顔をする利央を見て笑った。

彼は榛名と組んでいたのか、と少し意外だった。意外というか、彼も三橋以外の相手が過去にはいたんだという考えてみれば当然のことが、今の今まで頭になかったことに驚いた。

そしてその相手が榛名だと知って、なんとなく面白くないと感じる自分がいたことに俺は、自分自身驚いていた。

 

彼とは三つ、同じ講義を受講していることが分かった。

ひとつは金曜の一限、もうひとつは月曜の六限、そして水曜の二限だった。つまり一週間のうち月水金とコンスタントに顔を合わせる。

水曜の二限は、終わったらそのまま一緒に食堂で昼飯を食べるようになった。月曜の六限終わりは、途中まで一緒に帰ることが多かった。

会話する数が増えれば、やはりそれだけ親しくもなる。広い大学なのでそう偶然に会うことはないから、授業が同じというのは大きい。彼はあまり先輩を立てるタイプじゃないから、俺も軽口を叩いて結構対等に話せるようになってきた。

「あ、そうだ。今度慎吾さんの友達のチームと試合しようってなったんだけど、行ける?」

水曜の二限終わり、食堂で飯を食べながら誘うと、彼はぱっと表情を明るくした。野球がやりたくて仕方ないって顔だ。

「いいんですか?利央は?」

「いいじゃん交替でやれば。俺、阿部くんにも投げたいしさ」

そう言うと彼は瞳をくっと大きく開いて、それから少し照れくさそうに目線を下げた。

「まさか高瀬さんとバッテリー組むことになるなんて、高校時代は夢にも思わなかったッスね」

「そうだなぁ。当たり前だけどずっと敵チームだったもんな」

そこでふと、この間の試合のことを思い出した。

「阿部くんはさ、三年間ずっと三橋だけと組んでたの?」

「そうっスね。控え投手はいましたけど、基本的には三橋が投げる時は絶対俺でした」

「三橋って独占欲すごそうだもんなー。阿部くんは絶対俺のモノ!って感じ。阿部くんにとっても三橋は特別だったんじゃない?」

そう訊くと、彼は穏やかに微笑ってそうですね、と答えた。ああやっぱり、高校時代のバッテリーって特別だよな。

「あ、そういや訊いたんだけどさ、阿部くんて榛名と中学時代組んでたんだって?」

ごく話のついでという感じで訊いてみた。なんとなく本当はこちらが本題だった気もするが。

そして俺の気のせいじゃないなら、彼は一瞬、あの大きなタレた瞳を揺るがせた、ように見えた。そして、はい、とだけ言った。そこで会話は途切れた。