君と未来の想い出を④
前期のテスト明けに、慎吾さんの友人チームと試合をした。
今回は桐青メンバー+阿部という、いつもの飲み会メンバーだ。
利央と交替で俺と組んだ彼のリードは利央とは全く違う組み立て方でゾクゾクした。どちらかというと和サン寄りだが、彼はもっと綿密に相手の裏の裏の裏をかくリードをする。サインを出されるたびに彼の意図を汲み、性格の悪さに笑ってしまった。
利央は俺が気持ち良く投げられるようなサインを出すけど、彼は俺の腕を冷静に分析した上で、より勝つ確率の高い戦法を選ぶ。
そりゃあここまでの配球マニアに完璧に研究されつくした俺達と全くのノーデータの西浦じゃ、苦戦してもおかしくないと今更ながらに痛感する。あれはビギナーズラックなんかじゃない、徹底的な分析によって俺達は西浦に攻略されたんだ。
だけど、それも今はもう過去の話で、俺はあんなに敬遠していた彼とバッテリーを組んでいる。人生ほんと、何がどう転ぶか分かったもんじゃない。
この前の試合でも実感したが、やっぱり今回も最高に楽しいと思えた。やっと高校野球から解放された、というよりも、俺自身が過去に区切りをつけられたんだと再認識できた。
試合は俺達の桐青チームが勝利し、甲子園優勝校の実力健在、とみんなで大笑いした。
「じゃー、さんはいっ」
「おつかれっしたー!」
ヤマサンの音頭とプルタブの開栓音をクラッカー代わりに、缶チューハイや発泡酒で乾杯をする。打上げは例のごとく俺の部屋で行われた。
俺は今年度で成人だからいいとして、利央と阿部と迅の一回生組はノンアルチューハイだ。
さすがに十人近くの男が集まると狭苦しくて、和室とダイニングに分かれて座る。ホームセンターで間に合わせで買ったダイニングチェアが役に立った。
「いやーしかし、試合してスーパー銭湯行って酒買って宅飲みってさぁ、もうこれ完全オッサンだよね」
主催のヤマサンが満足気に笑いながら言った。確かにほんとオッサンだ。もっと酒が進んだら、きっと何人かはこのままバッティングセンターに行くだろう。
阿部くんおいでーとヤマサンに呼ばれて、彼は和室の先輩達の輪に入っていった。俺はダイニングで慎吾さんとモトさんと三人でビールを飲む。
「すっかり打ち解けたみたいだな、阿部くんと」
慎吾さんが和室で彼を囲んでわいわいやっている連中を見ながら言うから、俺はそうッスね、と答えた。
「まぁヤマサンと利央が初めっからベッタリだし」と言うと、慎吾さんは「お前がだよ」と言って俺を指差した。
「なに、準太阿部くんと仲悪かったの?」モトさんがにやにや笑って訊いてくる。
「いやー仲悪いっていうか、準太が一方的に拒否ってた。阿部くんなーんも悪くないのにさ」
「なんで?」
「そんなんじゃないッスよ」
そういえば慎吾さんには、以前にも彼への態度を指摘されたことがあった。この人は本当、よく人を見てる。
「ま、今は仲良くなったみたいだし良かったけど?」
「…そりゃ毎度毎度家に呼び付けてたらいい加減親しくもなるでしょ」
暗にあんた達がしょっちゅう入り浸ってるからですと嫌味を言ったのだが、慎吾さんは俺の心境の変化に気づいているのか、読めない顔で笑っている。なんだか癪なので、俺はビールをぐいと飲み干した。
「高瀬さん」
空き缶を持ってきた彼が俺を呼ぶと、「準太でいいよ」と慎吾さんが言った。なんで慎吾さんが言うんだと突っ込みたかったが、もう以前の俺じゃないのでそこはスル―する。
「みんな準太って呼んでるし。なぁ準太?」
彼は「え、」と躊躇したが、窺うように俺の方を見てきた。だから俺は「あぁ、名前の方が呼ばれ慣れてるし」と言った。内心はかなり心拍数が上がっていた、何でなのかは自分でも分からない。
「あ、じゃあ…準太、さん」
「ん?なに」
何でもないことなのに、みんな同じように呼んでいるのに、彼に名前を呼ばれた時心臓がぎゅっとした。俺は持ち前のポーカーフェイスで、顔が熱くなるのを必死で抑えた。なんなんだこれは。
彼は空き缶をゴミ袋に入れると俺の隣の椅子に腰かけて、手出してくださいと言った。
「手?どっちの?」
「右ですよ。今日投げたでしょ」
彼はそう言うと、俺の右手をすっと取っててのひらを上に向けさせた。突然手を握られたことでまた心臓が飛び跳ねて、今度は多分、ポーカーフェイスは崩れてしまったと思う。
え、え、え?と思っている間にも彼は俺の右手を両手で掴み、強すぎない力で揉んできた。突然のことに俺はもちろん、慎吾さんもモトさんも目を見開いて固まっている。
指の腹、付け根、手首、そして肘にかけて、リズミカルに柔らかく彼の指でマッサージをされる。指先がジンジンするほど熱くなっているのが分かった。顔も耳も、熱くなる。
彼はしばらく俺の腕をマッサージし続け、最後にてのひらをぎゅっと握って熱を確認すると満足げに口の端を上げてそっと手を離した。
俺はありがとうも言えずに硬直したままで、彼が不思議そうな顔で俺を見つめてくるその視線にもどぎまぎしていた。なんなんだマジで、これは一体なんなんだ。
「良かったじゃん準太ぁ」
また慎吾さんが面白いおもちゃを見つけたみたいな顔でにやにやして俺を見る、何かを確実に見透かされたような気分だ。悔しい。
「てか阿部くん、甲斐甲斐しいねー。高校ン時も投手にはいっつもそんなことしてあげてたの?」
慎吾さんが訊くと彼は「え?」と言って戸惑いの表情を見せ、それから「してなかったんですか?」と、それこそ不思議そうに訊き返してきた。
「いや、してないよな?」
慎吾さんが俺とモトさんの顔を見比べ、俺達は無言でウンウン頷くのが精いっぱいだった。
「西浦は瞑想とか心理学とか結構トレーニングに取り入れてたみたいだし、それもその一貫?」
彼は慎吾さんの質問にふるっと首を振った。「いえ、これは高校に入る前から…」
そこまで言って、彼はふと口を噤んだ。
高校に入る前から、つまりシニアから?シニアというと、榛名と組んでいた頃からやっていたということか? 瞬時にそんなことを考えて、気づいた。彼は先日、食堂で俺が榛名の話を振った時もこうして黙った。そして今も、シニアに話が及びそうになったところで会話を終わらせた。
彼は、榛名の話を避けているんだ。
有名人と知り合いだから面倒だという理由ではないだろう、俺達は榛名と同じ時代に野球をやっていた言わばライバルで、そんな憧れやミーハー根性はない。
だとしたら、何だ?彼のこの避けようは、榛名のことを口にしようとしない彼の意図は何なんだろう。
「そーだ、花火しよー」
「えっ花火?あるの?」
ヤマサンの唐突な提案に利央が驚く。
試合の買い出しの時に花火も買ってたんだ~と言うヤマサンにみんな苦笑しながらも感心した。
「こういうとこヤマちゃん抜け目ないよなぁ」
「娯楽に関する労力は厭わないもんな」
大人数でダラダラといつもの公園に向かい、大量に買い込んだ花火をヤマサンが広げると歓声が上がった。
「実は打ち上げもあります」
「やめてください!俺が管理会社から怒られるでしょ」
ヤマサンの悪ノリに俺が本気で怒り、みんなが大笑いする。高校の時から全く変わらない、多分一生変わらずこの仲間でつるんでいくんだろうなと思うと、野球やってて良かったな、と柄にもなく素直な感情が湧いた。絶対口に出しては言わないけど。
「阿部くんコレ見て!色変わるんだってー」
利央がはしゃいで彼に花火を渡し、楽しげに火を点ける。同い年のハズだけど、兄と弟みたいだ。ていうか大型犬と飼い主か。
閃光があちらこちらで瞬いて、公園のグラウンドは外灯よりも明るくなった。 風がほとんどないから煙で目の前が霞む。俺はこの匂いが結構好きだった。
ヤマサンが花火を両手の指の間に挟んで利央を追いかけはじめたので、みんながそれを見て笑った。俺はコーヒーを買いに行こうと彼を誘った。
アパートの敷地を出た道端で煌々と光りながら立っている自販機に向かい、ゆっくりと歩く。何となく肩を回すと、彼は「痛むんですか?」と訊いてきた。
「大丈夫。阿部くんてけっこう心配性?」
俺が楽しげに笑って言ったから、彼は少し拗ねたように別にそういうワケじゃないです、と言った。
「随分気にしてくれんね、俺のこと」
「だって準太さんは…」
「投手だから?」
そう訊くと、彼はこくんと頷いた。根っからの捕手なんだろう、彼は自分の投手にはこんなにも気遣ってくれるんだ。
和サンも俺の調子はよく気にしてくれていたけど、この子はそれとは全く違う。何というか、自分の全てを投手に注ぐのが当然みたいに、全身全霊で寄り添ってくる。
三橋は、高校三年間ずっとこうして彼に尽くされてきたんだろう。あいつの一年からの成長ぶりは凄まじかった、面白い顔もキョドった態度も相変わらずだったけど。
彼はずっと三橋のそばで三橋を励まし、三橋を支えてきたんだ。
俺の最高の捕手は永遠に和サンだけど、それとは全くの並行世界線でもし俺と彼がバッテリーを組んでいたらどうなっていたんだろうと考えるほどには、三橋のことが羨ましいと思えた。
「あのさ」
やっぱり、気になった。 榛名のことを、訊いてみようかと思った。また口を閉ざされるかもしれないけど、それでも、こんな風に榛名にも世話を焼いていたのかと訊きたくなった。だけど、
「…隆也って、呼んでいい?」
二人きりのこの時間を榛名なんかの話題で潰したくなくて、俺はそんなことを口にしていた。
「え、あ、はい、全然…」
隆也は俺の言葉に少し意外そうに驚いて、ちょっとはにかんだ。そして、嬉しいです、と言った。
「嬉しい?なんで」
「だって準太さん、俺が入学した頃は冷たかったじゃないですか。俺のこと嫌ってましたよね」
ギクリとした。いや、確かに態度に出していたかもしれないが、こんな正面切って言われると正直気まずい。
「いや、別に嫌ってなんか、」
「いいんです。俺もあんまり誰彼仲良くなる方じゃないし。けど利央とか山ノ井さん達がしょっちゅう誘ってくれて、準太さんイヤなんじゃないかなってそれが結構気になってたんで…」
「…ごめん。マジ、気遣わせてゴメン」
俺は口に手を当てて、目を伏せる。彼の言うとおりだったので弁解のしようもない。
確かにあの頃は、苦手だった。和サンへの想いや自分の情けなさを全部隆也のせいにしていたから、彼を見るのが辛かった。だけど、今は。
自販機のボタンを押して落ちて来たコーヒーを取り出し、一連の動作のように俺は隆也の左手を取った。
「え、」
隆也は驚いて俺を見上げたが俺はその視線から逃げないで、彼を見つめ返す。隆也の瞳は少し泳いで、だけどどうしていいのか分からないみたいに小さく小さく動揺していて、
「…ぶっ」
俺は思わず、噴き出してしまった。
からかわれていると思った隆也が今度は顔を真っ赤にして怒り出しそうだったから、もう一度繋いだ手に力を込める。そしてぐんと引き寄せると、
「嫌いな奴にこんなことしないって」
隆也の耳元にそう囁いて、指を絡めた。
「じゅっ、ちょ、準太さ…っ」
「まぁまぁ。仲直りのシルシ?」
「別に喧嘩してたワケじゃ…」
普段結構無口というか、野球の時以外は前面に出てこない隆也がこうして取り乱すのは珍しいことで、そんな彼の一面を自分が引き出せたことに俺は小さな喜びみたいなものを見つける。
「隆也」
「何ですか」
「明日の晩、飯行こっか」
明日の月曜は六限に同じ講義をとってるから、帰りはいつも途中まで一緒だ。だから晩飯に誘った、んだけど。
隆也は少し黙って何かを考えて、ふる、と首を振った。え、断られた?ってちょっと(いや、かなり)ショックを受けた俺の顔を見つめ返すと、隆也は上目遣いで口を開く。
「準太さんの部屋がいいです」
明日は絶対に絶対に、ヤマサン達を家に入れないでおこうと俺は強く決意した。