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二次小説置き場。ブログタイトルから連想できる方のみどうぞ

君と未来の想い出を⑧

朝起きて、一緒に授業に行って、どちらかの授業が終わるまでそれぞれ学校で時間を潰して一緒に帰る。

たまにヤマサンや利央達も混ざったりするけど部屋に泊まる人間は隆也しかいなくて、そんな恋人同士みたいな幸せな時間はあっという間に過ぎて行った。

期間限定の、幸せで、最高で、不安定な日々。

隆也の誕生日は、明日に迫っていた。

今日は月曜だから、六限の授業の後はどこかに食べに行こうと俺が提案した。明日は久々にヤマサン達も集まるから、一日早く二人きりでお祝いをしたかったからだ。

肉が食べたいという隆也のリクエストで焼肉に行って、食べ過ぎたと笑いながら坂道をゆっくりと上った。

春に和サンと歩いた桜の並木道を、隆也と歩く。

太い幹の桜は、今は一枚の葉もない枝を精一杯に伸ばして、寒そうにただその場に佇んでいる。

「冷えますねさすがに」肩をぶるっと震わせて隆也が言った。

「そうだな。こっから年末まで早いぜ」

「毎年のことだけどそうですよね」

やわらかくて暖かい気温の頃に隆也と出会って、焦げるように暑い夏に色んな遊びをして、肌寒くて心細くなる季節にあまり会えない日が続いて余計に隆也が恋しくなった。そしてもう十二月だ。風は冷たいし、空気も凛と張りつめている。

ポケットから手を出して、手袋をしていない隆也の手をそっと取る。隆也はびくりと手を緊張させたけど、繋いだ手は振り解かれない。

空気が冷たい。隆也の手も冷たい。せっかくポケットで温めた自分の手も、緊張で指先からかじかみそうだ。

そうだ分かってやってる。俺は、隆也が俺の手を拒絶しないと分かった上でこうして指を絡める。

これが投手の手じゃなかったら、隆也はそれでも俺の手を拒まないでいてくれるだろうか。

 

0時直前までダイニングでコーヒーを飲みながら過ごした俺達は、日付が変わった直後にもう一度飲みかけの湯呑で乾杯をした。

相変わらず渋い絵柄の湯呑に俺が噴き出すと、隆也はムッとした顔で俺を睨んだ。隆也は結構気に入っているらしい。

早速隆也の携帯が震え、隆也は「利央だ」と言って笑った。その後もヤマサンや慎吾さん、西浦のメンツから届くメールに、隆也は頬を綻ばせていた。

「返事しないの?」

「あー、朝起きたらします」

「それ絶対しないだろ」

「今度会ったら礼言います」

「いつだよ」

こういうところ、女子みたいにマメな利央とは違って隆也はズボラだ。面と向かって口で言えた俺はラッキーだったと思う。

んじゃお休み、と言ってそれぞれの部屋に入ったのが三十分前で、俺は未だに眠れずにいた。

明日できっと、二人での生活は終わる。隆也は家に帰って、また時々ウチに泊まる程度のつき合いになるんだろう。

やっぱり眠気なんてやってこなくて、外の空気でも吸おうかとバルコニーに出る、と。

「!…準太さん」

「えっ、隆也?」

そこに隆也がすでに立っていて、一瞬言葉が出なかった。

「ちょ、準太さんそんな薄着で!風邪ひいたらどうすんですかっ」

と、同じくスウェット一枚で俺より長く外に出ていたであろう隆也に叱られる。ちゃんと上着着てくださいって怒られたけど、これはツッコむべきなんだろうか。

俺は以前買ったふわふわのブランケットのことを思い出して、一旦部屋に取りに戻った。

「これ持ってきた」

そんなのよりちゃんとした上着を、と言いかけた隆也の言葉を遮って、ふわりと隆也を包み込んで胸に抱きしめてみた。やっぱり、隆也の身体はすごく冷たくなっていた。

「あったかいだろ」

本当に暖かい。こんなに軽くてふわふわしてるのに、肌に触れたとたん発熱して暖かくなる。隆也も実感しているのか、口にしかけた文句を飲み込んだのが分かった。だけど腕の中でもぞもぞ動いて、やっぱりまた距離をとろうとする。

「おい、空気入ると冷えるだろ」

「で、も」

「俺風邪ひいちゃうけどいいの?」 隆也はうっと言葉に詰まる。ここで何で突き離せないんだろう、こういうところが命取りなんじゃないか。

「隆也、寒い」

そう言えば、

「……」

「もっとひっついて」

「……っ、」

隆也は俺に風邪をひかせないように、大人しく腕の中に収まった。

互いの心臓の音が聴こえる。どっちの音が大きいかは分からないけど、きっとお互い、相手に聴かれて恥ずかしいくらいにはうるさく鳴っている。

「何見てたの?星?」

隆也の背をバルコニーの手すりにそっと凭れさせて、少し体重をかけてみる。身体がより密着して、毛布の中が熱くなっていく。外気との差がどんどん開いていくようだった。

隆也は観念したのか俺の肩に頭を預けるようにして、毛布の下で俺のスウェットをきゅっと握った。

「夜景がきれいだなって思って…」

「あぁ、眺望いいよなここ。考え事すんのに、いい場所だろ?」

そう言うと、隆也は無言でこっくりと頷いた。

暫くの間、その場に二人で抱き合ったまま、何もしゃべらずじっとしていた。

「……榛名のことを、考えてたんです」

どれくらい経ったか、隆也から口を開いた。俺は、うん、と言った。

「俺と…榛名は、シニアの時に組んでたって、言いましたよね」

「その頃の榛名は、ちょっと色々とあって結構荒れてた時期だったらしくて……高校に入ってからの、榛名とは、別人で」

隆也はぽつりぽつり、言葉を選ぶというよりは、榛名の名前を口にするたびに喉の奥を懸命に開いて声を絞り出すような、そんなぎこちなさであいつの話をしていく。

あいつの事情は全然知らないけど、どうやら隆也は榛名が最も手の付けられない時期にバッテリーを組んだ唯一の捕手だったらしい。

「あの人は武蔵野ですごく楽しそうに笑ってて生き生き野球してて…それがどうしても許せないっていうか、納得いかなかったんです。本来の榛名だったら、チームのために投げてくれるあの榛名だったら、もし俺があの榛名と組んでたらって、…どこかで思ってしまう自分が、いて」

俺には三橋がいたのに。そう言った隆也は、今この瞬間も心の中で三橋に懺悔しているんだろう。俺の服の裾を握る手に、僅かに力が込められる。

「だけどあの人にとっての俺は、捕手なんかじゃなくてただの通過点だったから。もう過ぎたことで榛名の中では終わったことだったんです。 ありがとうって、ごめんってあっさり頭下げられて。だからこれでおしまい、もう恨むなって言われて…」

隆也の声が震える。

「榛名のことを、想い続ける口実すら、なくされたんです」

捨てられた仔猫みたいに、俺の腕の中で隆也は立ち竦んだ。

「なのに未だに一方的に連絡寄越すんですよあの人。電話に出ろとか、たまには会えとか、そんな普通の先輩後輩みたいな関係を強要してくるんです」

「その度に、あぁほんとにこの人の中では完全に終わった過去なんだなって…思って」

だから隆也は、あいつからの電話に頑なに出ようとしないんだ。会えば思い知らされる、お互いの心のすれ違いに。一方的な過去への固執に。

どんどん未来へ進んでいく榛名と、過去に囚われたままの自分が、ますます遠く離れていくのが怖いんだ。

酷い奴だなって、そんな奴最低だって、悪いのはあいつなんだって言ってあげられたら。

でも、言えない。俺は言えない。だって、俺には榛名の気持ちが分かってしまった。

俺と榛名は、同じだ。

捕手は、組んだ相手全てに尽くそうとしてくれる。誰と組んでも、その投手のことを一番に考えて、投手が最も気持ち良く投げられるように、投手のためにそのミットを開いてくれる。

だけど俺達投手は、違うんだ。投手は、こいつと決めたただ一人の捕手だけを、自分の捕手だと認識する。

他は違うんだ。他の誰かじゃダメなんだ。唯一の捕手を求めて、自分がボールを投げる相手はこいつだって、選ぶんだ。

俺がそうだったように。三橋がそうだったように。 榛名にもきっと、自分だけの捕手がいたんだろう。

それは恐らく、隆也じゃなくて。

隆也が全身全霊であいつに向き合っていたにも関わらず心から通じ合えなかったのは、きっとそういうことなんだ。

「……ごめん」

「何で準太さんが謝るんですか」

隆也は笑った。ごめん。ごめんな。こんなこと隆也には言えない。言えるワケがない。

利央と隆也がかぶる。俺に、榛名を責める資格はない。

腕の力を強めて、隆也をぎゅっと抱きしめる。

準太さん、と呼ばれる。なに、と答えれば、隆也はひとつゆっくりと息を吸って、俺の背中に手を回した。

「俺、分からないんです。自分の気持ちが」

隆也の息が首筋にかかる。湿りを帯びた吐息が蒸れて、熱い。

「準太さんに手繋がれたり、今みたいにこんなふうに、…したり、するの、すごく恥ずかしいし…どきどきするんです。準太さんと一緒にいて楽しいし、…その、好きって言ってもらえて、う、れしいんです。ホントは」

「…そうなんだ」

ちょっと、意外にもこんなことを言ってもらえて感動する。

「隆也は、俺のこと何とも思ってないって思ってた」

「そんなことないです!」

隆也は焦ったように顔を上げて力強く否定した。赤くなった頬に目は潤み、ちょっと困ったみたいな表情がかわいい、と思う。

「だけど、…」

もう隆也の言いたいことは分かってる。

「いいんだよ」

だから、俺は隆也の頭を包み込んだ。

「前も言ったろ?俺だって何回やり直せるとしても和サンがいいって。俺の捕手は和サンだって。でもさ、春に隆也と出会って、隆也とバッテリー組んで、隆也を知っていくうちに俺は隆也を好きになったんだ」

隆也の心の中に、シニアの頃の隆也がいる。その隆也は、どうしたってあいつしか知らないから。隆也の心から、あいつが消えることはない。

それはもう、そういうものなんだ。

だけど俺があの夏を想い出にできたように、隆也もあの頃を想い出にできる日がきっと来る。

 

「隆也の過去は、忘れる必要もないし蓋する必要もない。でも俺たちは、これから始まるんだ」

 「…準太さん」

 

それは確かに恋だったのかもしれないけど。

「ナントカは実らないっていうだろ?お互いにさ」

腕の拘束を緩めて、少しだけかがんで隆也と同じ目線になる。頬に手を添え真正面から隆也の顔を見つめて、今にも泣き出しそうに眉を下げてるタレ目の隆也を瞳に映す 。

 

「隆也。もう、俺だけを見て」

 

隆也の瞳が揺れて、大きく開く。唇が冷気に触れて冷たい。重ねた隆也の唇も、同じくらい冷たかった。

 

 

*********

 

 

「じゃあ準太、授業頑張ってねー!いってらっしゃーい」

タイミング悪く今日の三限と五限に授業が入っている俺抜きで、昼からウチに来襲したヤマサン慎吾さん利央は隆也を連れて買い出しに行くと大張りきりだ。さっさと俺を追い出して出かけたいのが丸分かりというかそもそも隠す気もない。

「俺帰ってくる前に始めたらぶん殴るからな利央」

「なんでオレぇ!?心配なら休んだらいいじゃんー!」

俺だって本当は休みたい。普段の授業だったら絶対休んでる。だけど今日に限ってどっちもテストがあるので行かないわけにいかないのだ。

「やだねー嫉妬深い男は。俺たちが大事な阿部くんに手出すワケないだろお?彼氏気取りの準太を差し置いて」

「もう気取りじゃねぇですから!」

煽られてそう返せば、もうやだやだ自慢始まったよとか言われて、「じゃあやっぱ昨日はヤッたの?」と慎吾さんの下品な質問が投げかけられる。さっきからこれの繰り返しだ。

「…もう行きます」

おお行け行け行ってらっしゃいと盛大に送り出されて、溜息を吐いて靴を履いて部屋を出た。

「準太さん、マフラーしてってください」

ドアを開けて出てきた隆也が、手に持っていたマフラーを俺の首にふわりとかけた。一回りさせて、首の後ろで結んでくれる。それから少しはにかんで行ってらっしゃい、と言う。

「ごめんな、一緒に行けなくて」

「いえ、準備して待ってます」

「隆也の誕生日なのに俺が待っててもらうってのもヘンだけどな」

そう言って笑うと、隆也もつられて笑った。

「あぁ、あと今日はハイネックのTシャツ着ときな。慎吾さん達うるさいから」

「は、い?」

首を傾げながら頷く、たぶん何も分かってないだろう隆也に、じゃあ行ってくると行って頭を撫でた。

風は今日も冷たい、でも帰ったら温かい鍋だ。うるさい連中と愛しい恋人が、俺の帰りを待っててくれる。

春を待つ裸の木々も今は寒そうだけど、来年は隆也と一緒に見上げるだろう満開の桜を思い浮かべて、俺は一人、並木道を歩いた。

 

 

 

end