KWNB624

二次小説置き場。ブログタイトルから連想できる方のみどうぞ

それは秋に咲いた

 

島崎×阿部

 

あ、桐青だ。

そう言ったのは誰だったか分からないが、先頭から三番目を走っていた阿部にもその姿ははっきりと見えて、桐青高校の刺繍の入ったエナメルを肩にかけた学生達がランニングルートの先に数人立っているのが確認出来た。

向こうのチームも、誰か一人が気づき他の部員に知らせるようにこちらを指差す。振り向いた人物は主将の河合とその隣に立っていた明るい茶髪の男で、阿部が今もっとも会いたくないと思っていたその人だった。

長袖のワイシャツが初秋の風を受けてやわらかく膨らんでいる。記憶の中の彼よりも髪が少し伸びたように思うのは、気のせいだろうか。

「ちわ!」

花井に続き全員で挨拶をすると、桐青の部員達も挨拶を返した。ざっと見たところ、あの試合でレギュラーに入っていた真柴や四番の青木、エースの高瀬の姿は見当たらない。どうやらここにいるのは現役選手ではなく、全員三年生らしいと阿部はすぐに判断した。

花井はそのまま通り過ぎるつもりだったのだろうが、河合が花井を呼び止めたので、花井は驚いて立ち止まった。

河合は他の部員に「先に行っといてくれ」とだけ言うと、両隣にいたどうやら副主将らしい二人と共にこちらに歩み寄ってきたので、栄口も花井の隣で足を止める。

「悪い、先帰ってて」栄口が後ろの部員に言い、泉は分かったと返事をしてそのまま走って行った。

「おい阿部!お前はこっちだろっ」

泉の後ろにぴたりとくっついて一緒に走り去りかけた阿部の姿を見逃さず、花井が声を上げる。阿部は小さく舌打ちをすると、仏頂面で花井を睨みながらすごすごと歩いて戻ってきた。

「お前アホか!?桐青のキャプテンが呼んでんだぞ!何帰ろうとしてんだよ」向こうに聞こえないよう、花井が小声で怒る。

分かっている、そんなことは分かっている。だからこそ逃げたかったのだ。

「こんにちは。すいません呼び止めて」

二学年上の河合は、だが一年生の花井にもしっかりと敬語で挨拶をしてきた。

「こんにちは!お久しぶりです。あ、今日は練習出られてたんですか?」

「あぁ、今日模試だったんで。久々に三年全員で喝入れに」

主将同士が秋季大会お疲れさまでしたなどと世間話をしている間、花井の隣に立っていた阿部は後ろ手を組んで帽子を目深に被り、つばの下で目を伏せるようにして地面をただじっと見つめていた。

「阿部くん」

突然名前を呼ばれ、一瞬反応に遅れた阿部の肘を花井が小突く。顔を上げると、河合がこちらを見ていた。

「もう脚は大丈夫?」

「あ、はい。もう全然」

「良かった。膝は怖いからね、ポジション柄一番使うし」

河合はあの試合を観戦していたと、後日聞いたことがあった。情報提供者はもちろん、島崎だった。

阿部は河合の目を見返して礼を言う、その間ずっと視界の端に島崎の姿を認めてはいたが、絶対に目を合わせまいとして彼の方を向くことはしなかった。

 

本山が「あれって西浦かな?」と指差し、島崎が振り向いた先には、約二ヶ月ぶりに見る阿部の姿があった。

阿部とは夏大後に、整骨院帰りの彼と偶然再会したことから二人で会うようになった。

部屋で二人きり、野球の話題やそれぞれのチームの話題の途中に半分冗談、半分性欲に忠実にキスをしかけてみると、彼は硬直してしまった。あ、まずかったかなと思いつつ「もしかして初めてだった?」と挑発した言い方を島崎はした。

思った通り阿部は負けず嫌いで、「べつに、初めてじゃないです」と言い返してきた。それが可笑しくてちょっとからかうつもりで、じゃあ、いい?と訊けば、彼は少し忙しなく瞬きをしながら、コク、と無言で頷いた。

すぐにその言葉は嘘だったと分かった。阿部は絶対に初めてだった。しかも島崎のお伺いの意味も理解してはいなかったようで、ベッドに押し倒した時の表情は何とも言えないほど怯えていた。

やめようと思えばやめられた。だがその時期はちょうど彼女と別れた頃で相手もおらず、なんとなく目の前の生意気で、そのくせそういったことに疎そうな年下の強がりを剥ぎ取ってやりたい気分で、有体に言えば、ヤりたかった。

そこから阿部との関係は始まった。一度きりで終わることがなかったのは、正直島崎自身も意外だった。

また会いたくなったら連絡していい?と訊くと、阿部は何か言いたげな表情で一度島崎を睨みはしたが、無言でアドレスを教えてきた。

阿部の休みや半日練習の日には、彼を部屋に呼んでただひたすらに彼を抱いた。冷房の効いた部屋で裸で布団にくるまり、汗を掻いては身体を冷やし、人肌で温め合いながらベッドの上で抱き合った。

阿部から会いたいと言ってくることは一度もなかった。それがとても楽で、自分が勉強に疲れてしたくなった時だけ彼を誘い、彼も文句を言わずにやってきて、何も考えずにセックスに没頭した。

自分達は気が合う、と島崎は思っていた。実際身体の相性も良いと思う。女の身体が恋しくなることはなかったし、もしこの先彼女ができたとしても、完全に阿部との関係を断つのは惜しいとさえ思うほどだった。

何も知らない阿部は島崎に言われるがままに脚を開き、されるがままに島崎を受け入れた。

怪我をしていた膝をそっと撫でてやると、その時だけは泣き顔にも似た幼い不安げな表情になり、言葉は発さずに彼の手は島崎の腕を引き寄せた。

 

島崎は、阿部を抱くときは彼の名前を呼んだ。だが彼は決して島崎の名を呼ぶことはなかった。どんなに泣かせても、悦がらせても、頑なに呼ばない。ただその瞳に涙を溜めて縋るような表情で島崎を誘うだけで、絶対に名前を呼ぶことはしなかった。

恐らく、それが彼のプライドだったのだろう。抱いてほしいんじゃない、抱かれたいんじゃない、あんたが言うからつき合ってやっているんだというスタンスを保ちたかったのではないだろうか。憶測に過ぎないけれども。

まぁそれも好都合、と島崎は自分に有利な解釈をして、いちいち好きだよとか愛してるなんて言葉を欲しがる面倒な女よりも、完全に割り切った身体だけの関係を阿部と続けられる身軽さに喜びを感じていた。それなのに。

夏期講習も終わりに近づいた頃、同じ予備校で女子高に通っている女子生徒から告白された。

島崎くんカッコイイなってずっと思ってたの。でも夏期講習終わったら毎日は会えなくなっちゃうし、どうしても伝えたくなって。

そんな、女独特の媚と匂いと艶を帯びた台詞は久々で、少し懐かしくも感じたことが可笑しくて、島崎はOKした。

「俺カノジョ出来たから、ちょっと会う回数減るかもしれない」

二回続けてセックスをした後に、島崎は阿部に伝えた。

阿部は暫くの間ベッドに突っ伏したまま上がった呼吸をゆっくりと整えていたが、やがて呼吸が落ち着いてくると、分かりました、とだけ言った。それ以来、阿部が島崎からのメールに返事をすることはなかった。

 

今、島崎の目の前に立ちながら阿部は決してこちらを見ないように俯いたままでいる。

もう彼女とは終わったからまた会いたかったのに、阿部は島崎からのメールにも電話にも決して出なかった。つまりもう終わりにしたいということだろう、それくらいは島崎にも分かっていた。

だったらまぁ、もういいか。そう思いかけていた矢先の偶然の再会だったから、島崎はどうしても阿部の顔が見たくなったのだ。

阿部くん、と彼の名を河合が呼んだ時、やっと彼は顔を上げた。しかし河合の顔ばかり見て絶対にこちらを見ようとはしない。分かってはいたが、徹底的に避けられている。

 

その瞳で、何度も俺を求めたくせに。

その唇に、何度も俺の唇を重ねたのに。

 

真一文字に引き結ばれた唇が島崎の名を呼ぶことはやはりなく、黒くて大きな瞳も決して島崎の姿を捉えることはない。

「それじゃあ、失礼します」

「呼び止めてすいませんでした。頑張ってください」

花井と河合が別れの挨拶を交わす。

阿部が俯いたまま更に頭を下げてぺこりとお辞儀をしたので、島崎はとうとう右手を持ち上げた。

彼の帽子の硬くて黒いつばに指をかけ、ぐるんと後ろに回す。えっ、とその場にいた全員が島崎の行動に目を見開いているのが分かったが、島崎は構うことなく阿部の顔を覗き込んだ。

ようやく彼のタレ目に自分の姿がしっかりと映ったことを確認して、内心島崎は満足する。久しぶりに見た彼の瞳に、やわらかな唇に触れたい衝動を抑えて薄く微笑う。


「じゃあまたな、隆也クン。練習頑張って」


阿部は瞠目したまま固まり、絶句していた。

踵を返して歩き出す島崎の後を河合と山ノ井が追う。え、お前友達なの?と訊かれ、いや別にと答えた。

今、阿部がどんな顔をしているのかは分からない。赤くなっているのか、怒っているのか、涼しい顔をしているのか全く見当もつかない。

なんだか無性にイラッとして、どうしても彼の目に自分を映したいと思っただけだ。どうして苛ついているのか、そんなことを思ったのかは島崎自身にも分からなかった。

いつか、この持て余した煩わしい感情に、名前をつけられる日が来るのだろうか。

道端のコスモスが風になびく姿が目に入る。つられるようにその視線の先を追うと、碧く澄んだ高い高い空の上にはうろこ雲が広がり、清涼な風が僅かに伸びた島崎の前髪をなびかせた。

 

 

 

 end