KWNB624

二次小説置き場。ブログタイトルから連想できる方のみどうぞ

誤算

ネクタイはあまり好きじゃない。

首周りが窮屈だし、夏はかなり暑いし、靴紐を結ぶ時も制服でキャッチボールをする時も、いちいちポケットにしまわないと邪魔だからだ。

毎日制服でネクタイを締めているから、もう目を瞑ったままでも簡単に結べる。だから準太は、阿部が自分でネクタイを結べないことに純粋に驚いた。

「えっ、隆也自分で結べないの?」

嫌味ではなく本当に驚いて訊くと、阿部は少し頬を赤らめ、ムッとした表情で小さく「悪かったですね」と呟いて口を尖らせた。

お互い部活が休みで、制服のままイチョウ並木の遊歩道を歩きながら帰る。

どこに行くでもないけれど、互いの近況報告や他愛無い会話をだらだらと続けるには、この長い道のりは二人にとって都合が良かった。今は季節柄、赤や黄色の落ち葉が絨毯みたいに敷き詰められていて、乾いた音を踏みしめながらただ歩くこの時間がとても貴重に感じられた。

だってネクタイなんてする機会ないし。そう言った阿部の通う西浦高校は私服だからどんな格好でも良いのだが、そういうことに無頓着な阿部は標準服を着ている。白のワイシャツと黒のズボン、いたって普通の学生服だ。

「まぁ俺もネクタイ好きじゃねーけど。今はいいけど夏はマジで暑っくるしいからさ」

「そうなんですか」

「そりゃ首元締めるんだから、あちーよ」

しかし女生徒は、男にネクタイは必須だとよく主張している。だからノーネクタイのクールビズなんてマジで余計なお世話、意味分かんないなどと憤慨していた。準太からすればそれこそマジで意味が分からないのだが。

「あ、だからいつも緩めてるんですか」

阿部の視線が準太の首元に注がれる。準太は山吹色のネクタイを指でつまみながら、少し返答に困った。

暑いからというより、制服のネクタイを首元できっちり締めるというのは何となくダサいのだ。会社に勤めるビジネスマンとは違い、準太にとって制服はきちんと着こなすべきものではなかった。だがその微妙な感覚は言葉で伝わるものではないし、別に準太自身も強い拘りを持っているわけではないので、「なぜネクタイを緩めているか」の納得いく説明は出来そうにないと放棄する。その代わりに、

「してみる?」

そう言って準太はネクタイに指をかけ緩めると、首からそれを抜き取り阿部の首にかけた。

 

「このでっかい方を後ろからぐるっと回して、そう。んで後ろから指で作った輪っかの部分に通すんだよ」

東屋のベンチに腰を降ろし、準太の手本通りに阿部が実践する。準太が結んでいるところを見る限りでは簡単そうなその一連の流れが、しかし阿部には何度やっても再現できなかった。

「違う違う、回し過ぎ。いやそれじゃ足んないって。指をそのまま覆う感じ」

もう何十回やり直しただろうか、ループにしてそこに通すだけなのに、いざ自分の首元でやるとなると指がもつれて分からなくなってしまう。せっかく順序どおりにできても、今度は大剣と小剣の長さが極端に違って滑稽なことになってしまう。

「隆也ってホンット不器用だよなぁ、意外と」

楽しそうに笑う。彼が他人をからかうのが好きな性分なのは知っているが、普段すました阿部のこういったスマートでない部分を見る準太は実に嬉しそうで、生き生きしているようにすら阿部には見えた。

それが悔しかったり恥ずかしかったりで、だけど準太にこうしてからかわれるのは、なぜか嫌ではなかった。

「んー…向かい合わせじゃ反対になるから分かんねーか」

そう言うと準太は阿部の肩に両手を置くと、阿部をくるりと回転させて自分の胸に引き寄せた。

何が起こったのか理解した時には準太の唇が阿部の耳元の至近距離にあって、彼の低い声と共に吐息が耳朶に触れた。

「ここでクロスして、長さを決めるだろ。だからこことここを押さえておいて、ぐるっと回すんだ」

突然後ろから抱きすくめられるような姿勢で、こんな近いところに準太の顔があって、心の準備ができていなかった阿部はもう正直ネクタイどころではなかった。

「隆也?」

阿部の肩が固まっていることに気づいた準太が彼の動揺を察知するのはそう難しいことでもなく、準太は小さく「…あ、」と言った。そして沈黙。

しばし両者そのまま身動きせずにいたが、やがて準太は指の動きを再開させ、しゅる、とタイを結び終えると、最後の仕上げにノットを指で抓み、グッと阿部の喉元まで締めた。

「…苦し、」

「だろ?だからヤなんだって」

準太は苦笑して、再びノットを崩すように下げた。

今この場に、鏡がなくて良かったと阿部は思う。きっと顔は赤いし、ネクタイは似合っていないだろうし、正直準太にも今の自分を見られるのは恥ずかしかった。と、不意に準太の手が再びネクタイに伸びたと思うとクイと引っ張られ、促されるように阿部も顔を上げた。

それと同時に額に唇を押し当てられ、阿部は瞠目する。

それは一瞬のことで、ちゅっという音と共に準太の唇はすぐに離れた。

「レクチャー代」

いたずらめいた笑顔で言われ、阿部は額に手を当てて顔の熱がますます上がったことを自覚した。

ふざけたようにされた額へのキスは準太なりのフォローなのだと分かったから、余計に顔が熱くなる。阿部の気持ちを汲んだ準太が、阿部の一人相撲ではないことを教えてくれたのだ。

意識しているのは自分だけじゃないと、ちゃんと同じ気持ちだと、一人で思い詰めてしまいがちな阿部の心を準太はしばしばこんな風に拾い上げてくれる。それが嬉しくて、と同時にやっぱり恥ずかしくて、こういうところが自分にはないな、と阿部は密かに憧れてもいた。

準太の手が阿部のネクタイを解き、再び自分の首元でいとも簡単に結んでいく。

「行くか」

鞄を持って立ち上がった準太に続いて阿部も腰を上げた。そして腕を伸ばし、さっき自分がされたように、準太のネクタイを掴むとグイと力を込めて引き寄せた。

「え」

準太は僅かに目を見張り、阿部に顔を近づける。

「………」

「………」

しかしなぜか阿部も驚いたような顔をして、また顔を赤らめてしまい目を泳がせていた。

「え、なにその反応」

意味が分からないのは準太の方だった。意思を持ってネクタイを引っ張られたはずなのに、当の本人がなぜこんなに動揺して困った表情になっているのか。困っているのは自分の方なのにと準太が思うのも無理はなかった。

「ちょ、なんで隆也が照れてんの?つかネクタイ引っ張っといて、ここで止まる意味って何?」

「ス、スンマセン。目測誤りました」

「は?」

阿部は顔を俯かせてしまい、恥ずかしさに委縮している。一体何の目測を誤ったというのか。

「間違えました、スンマセン」

そんな、顔の見えない間違い電話のようなことを言われてもますます意味が分からない。

「だから何が?」

阿部はうぅ、と呻くような声を漏らし、顔を真っ赤にしたまま何とも決まりの悪い表情でようやくゆっくりと頭を持ち上げる。そして、「…仕返し、しようと思ったん、ス、けど」と途切れ途切れに弁明を始めた。

「けど?」

「……届かなくて」

「…何に?」

阿部はやや睨むようにも見える上目遣いで準太の顔を見上げると、「…おでこです」と言った。

「………」

準太はようやく、阿部の恥ずかしがっている理由が分かった、気がした。

つまり阿部は準太にされたお返しとばかりに自分もネクタイを引っ張り準太のおでこにキスをしてやろうと目論んだものの、いざネクタイを引っ張ってみると準太との身長差を計算に入れていなかったため準太のおでこにキスすることができず、そんな浅はかな考えをしてしまった自分に今更恥ずかしくなってどうしようもなくなったということなのだろう、この取り乱しようを見る限り。

 

「……隆也さぁ、ホント、…」

 

脱力するというか、なんというか。キャッチャーの時の阿部と今の阿部とのギャップにどう対応して良いか分からないほど準太の心は乱される。

つき合っている相手にネクタイを引かれたら、そんなの男としては期待することはひとつなのに。しかもあんなに顔を近づけておきながら、阿部は自分の作戦が失敗に終わったというショックでその他の可能性すら考えられなくなってしまったのだ。

臨機応変にはいかない、野球以外には本当に不器用で無垢な恋人には、さすがのポーカーフェイスも長続きはしない。

未だ赤面しながらも準太のネクタイを離すことができずにいる阿部の手首に手を添えると、準太はその手を彼の胸へと押しつけた。そしてそのまま阿部に顔を近づける。

 「おでこじゃなくて、ココがいいんだけど」

「…準太さ…」

強く握りしめられた彼の拳の中でしわくちゃになっているネクタイが、自分達の距離をこれほどまでに詰めるなんて。

あぁきっと、明日からネクタイを結ぶたびに今日のことを思い出してしまう。煩わしいと思っていたネクタイを、一番大事に扱うようになるかもしれない。

男にネクタイは必須だと主張していたクラスの女子の言うことがなんとなく分かった気がすると、腕の中で必死にネクタイに縋りついている阿部を見つめながら準太は思った。

 

 

 

end.