KWNB624

二次小説置き場。ブログタイトルから連想できる方のみどうぞ

策士恋に溺れる

とにかく慎吾はいつもいつでも阿部を求めてきて、彼の部屋にいるときは九割九分九厘そういうことになるし、阿部の部屋に上がったときも後ろから抱きしめたりしつこく口付けをしたりしてくる。

二人で歩いているときはもちろん他の友人達といるときだって堂々と指を絡めてくるし、阿部の腰を抱いたりすることもしょっちゅうだった。

大学に入って一人暮らしを始めた慎吾の部屋でそうなることは、阿部だって全然いやじゃなかった。期待している部分も大きい。

だけど自分の部屋に慎吾を招いたときはやはりいつ弟が入ってくるか分からないし、階下には親だっているし、家族のいる実家で慎吾の生み出す甘い空気に飲まれるのは、親に申し訳ないというよく分からない罪悪感とか羞恥心が勝って阿部は毎回パニックに陥る。

もちろん無理矢理されたことはないし、そういうときの慎吾の顔は初めから阿部が拒むのを分かっているようで楽しげに笑っているから、きっと彼もからかっているのだろうことは分かる。分かるが、それでも阿部は恥ずかしくて、彼の冗談に乗るなんてことはできずに大袈裟に拒絶するのだった。

今日も今日とて慎吾の部屋で次の試合の対戦相手の話をしていると、慎吾は軽い相槌を打ちながらも手は阿部の太腿を撫で始め、やがてその手は腿の付け根へと伸ばされてゆき、もう一方の腕は阿部のシャツの下に忍び込んで阿部の臍あたりをまさぐり始めた。

慎吾のテスト期間とレポートの提出期間が重なっていてかなりスケジュール的にもきつい状況だと嘆いていたのが半月前で、だったら自分も練習と試合に集中しますといって阿部はあっさり慎吾と距離を置くことを了承した。

距離といっても別に冷却期間や互いの気持ちを再確認するとかではなく、単にしばらく会わないでいるということだったので、慎吾はもちろん阿部だってそのことに心痛めたり悩んだりはしていなかった。

ただしばらく会えないんだなと思っただけで、阿部の中ではむしろ次に会うのが楽しみだな程度のちょっとした試練みたいなものにやる気になっていたし、慎吾と会わないことで今度の試合に集中できるのはありがたかった。慎吾と会うと、いつもの自分の調子が出ないでなんだか心も足元もふわふわして、慎吾に抱きしめてもらっていないと落ち着けないような腑抜けな自分になってしまうから、阿部はそんな自分を恥ずかしく思っていたのだ。

そんな感じでしばらく会っていなかったので、慎吾が阿部を求めてくるのは予想できていたし、彼に触れられて身体がだんだんと火照ってくるのも自覚していた阿部は、野球の話は一旦置いて慎吾の甘い吐息に肩を震わせた。

 

「泊まっていったら?」

まだ18時にもなっていないのに外は真っ暗で、なんとなくそろそろ帰らないといけない気持ちに少し気落ちしていると、慎吾はベッドの中で阿部の背中を愛しげに撫でながら言った。

「明日も朝練あるんで…」

そんなことは、慎吾も阿部も承知している。もっと言えば、絶対帰ることに変わりはないことも分かりきっていた。

慎吾はそれでも、阿部が後ろ髪を引かれる想いで家に帰るようにわざとこうして名残惜しげに阿部を引き留める。それは阿部を喜ばせ、そして僅かに困らせ、もっともっと一緒にいたいという気持ちを膨れさせた。

「じゃあもう一回しよっか」

その言葉に、阿部は「え?」と驚いた。

夕飯までには帰らないといけないし、それに今日は久しぶりなこともあって結構普段よりは濃厚に、長く、回数も多かった。なのにもう一回って、そんな100本ノック後のオマケ1本みたいな言い方をされても、はいじゃあしましょうかとはなれない。

「も、もう今日はおしまいです」

「えー、俺まだ足りないんだけど。もっと隆也とイチャイチャしたいもん」

起き上がろうとする阿部の肩を押さえて、慎吾は拗ねたような口調で駄々をこねる。

普段、友人や後輩には絶対こんな姿は見せない慎吾が自分だけに甘えてくるのは本当は嬉しい。嬉しいが、そんな阿部の喜びすら分かりきった上でこうされているんだろうと思うと、それはそれで腹立たしくもあった。

きっと慎吾は全て、何もかもお見通しなのだ。慎吾の一挙手一投足に阿部がいちいち胸を高鳴らせることも分かってやっている。今だってきっと阿部が本気で拒んでいるのではないと分かっていて、いやよいやよも何とかだろ、と思っているに違いない。それが何だか無性に悔しくなって、「帰ります」と阿部ははっきりと言った。

「隆也、何か怒ってる?」

「怒ってません別に」

「いや怒ってるじゃん。どした?さっきまでは素直で可愛かったのに」

そこまで言って、あ、今のは失言、ごめんと慎吾は謝った。しかし阿部の機嫌は急降下し、今にも荷物を持って飛び出さんばかりの勢いでさっさと着替えて立ち上がる。

「隆也、ごめんって。怒んないで」

「怒ってませんって」

怒っている、そんなこと自分でも分かっている。こういう短気なところがヒステリックな女みたいだと思うし、自分自身の嫌いなところだった。

しかし阿部だって、本当はもっとずっと一緒にいたい。だけどこのまったりとした雰囲気を破って冷たい風の吹く外に出るのはただでさえ辛く億劫なことなのに、慎吾に引き留められるともっと帰りたくなくなる上に、どうせあんたは俺が帰ったらそのままだらだら寝てるんだろという逆恨みも混じってとても腹が立ったのだ。だけど、

「せっかく久しぶりに会えたんだから、こんなバイバイの仕方いやじゃん。ね、機嫌直して」

こんなに慎吾が下手に出るのを自分以外の相手にしているところを見たことがない阿部は、それだけでもう胸が締め付けられてしまう。

「隆也」

あんなにも周りに人の寄ってくる人が、あんなにも自信に満ちた人が、ごめんねと何度も謝って引き留めてくれる。そんな特権がどうして自分にあるのか未だに分からない阿部としては、例えこれが慎吾の手の内だったとしても、やはり絆されずにはいられないのだ。

「…ほんとに、怒ってない、です。ただ、」

「ただ?なに」

「…慎吾さん、ただ…したいだけなんじゃないかって、ちょっと、…思って」

「え」

ひどいかなとは思ったけれど、言ってしまった。そんなことはないと分かっているのに、ちょっと困らせてみたくなって、阿部は少しの意地悪心もあってそんなふうに言ってみた。

当然慎吾はそんなことないってと否定するし、阿部も分かってます、ごめんなさいと言う。もうそれだけで阿部は充分満足だった。ちょっとした意趣返しが成功して、くだらないけれどそんなことで心がスッとして、自分も相当性格が悪いなと自嘲した。
その日は結局仲直りして玄関でキスをしたけれど、慎吾はその先のコンビニまで歩いて阿部を見送った。

 

次に会ったデートの日、今までにないくらい慎吾は阿部に触れて来なかった。
人前で歩いている時はもちろん、電車の中や人通りの少ない自分達しか歩いていない路地でも手を繋いで来なかった。こんなことは初めてだった。

かといって避けているわけでもない。ただ今までがスキンシップ過剰だったといえばそれまでのことで、これが普通の距離感なのだと思えばそうなのだろうけど、阿部は少し面食らった。

慎吾はいつもの通りの笑顔で優しく阿部をリードしてくれるが、それは仲の良い友人にするのとなんら変わらない接し方で、その違和感を気持ち悪く阿部は感じた。

部屋に上がってしばらく会話を楽しんだ後、それが途切れたタイミングでやっと慎吾は今日初めて阿部にキスをした。そっと肩を抱いて、頬を触れ合わせて、ちゅ、ちゅ、と啄ばむようなキスをして、それから唇を深く重ね合わせる。

何だか今日一日おあずけを食らっていたような気持ちになってしまっていた阿部は、その口付けだけでもう身体に火がついてしまい心臓がどきどきとうるさかった。しかし慎吾は、

「隆也明日も学校だもんな。もう帰る?」

そんなことを言って、あっさりと阿部の肩から手を退けた。

呆気にとられた阿部の表情に慎吾は不思議そうに「え、違った?」と訊いてきたので、阿部は「いえ、」としか返せなかった。

その次のデートでも、慎吾は態度こそいつも通りで優しかったものの、やはり阿部に必要以上の接触をしてこず、部屋で二人きりになってからも髪を撫でたり手を握ったりはするくせに、それ以上触れてくることはなかった。

仕返しされているのだろうかと阿部は思った。この前、したいだけなんじゃないかと意地悪を言った阿部にひと泡吹かせようと、阿部から迫るように仕向けているのではないかと疑った。

だけどそれにしては、楽しんでいる気配がない。慎吾は阿部をからかうときはいつも「からかっています」という空気を隠すことなく阿部を挑発するのだ。それに阿部が怒ったり拗ねたりすると、また嬉しそうに目を細めて笑う。わざとらしいばればれの駆け引きを楽しんでいるようで、だから阿部も素直に怒ることができたし、そんな子供じみたことをしてくる慎吾のことをかわいいと思っていたりもしたのだ。

だが今の慎吾はそれとは違い、何を考えているのか分からない。本心が見えない。わざと阿部に触れないのかただ触れる気がないだけなのか分からない。

瞳の色は優しいし、態度も普段と変わらない。よそよそしいわけでもない。ただただ自然に、ベタベタしてこないだけといえば正にそうだった。

 

 

「今度の火曜さ、隆也誕生日だろ。ウチでお祝いしよっか」

慎吾の提案に、阿部は音が聴こえそうなほど胸を高鳴らせた。

慎吾とキスより先のことをしなくなってもうずいぶんと経っていたから(といっても一ヶ月程だけれど)、その言葉だけで頭の中は誕生日の夜のことでいっぱいになった。

「あんま遅くなるといけないから早めに飯にする?」

「あの、」

阿部は慎吾の言葉を遮る勢いで、泊まれます、と言った。

「え、でも朝練だろ?」

「テスト期間中なんで、部活ないんです。だから昼過ぎから来れるし、そんで、次の日…は、数学と物理、だから」

慎吾は阿部の言外の意味を汲み取ったのか、そうか、と言うとにっこりと笑い、「じゃあ、ゆっくりできるね」と嬉しそうに言った。

誕生日までの一週間、阿部はそわそわと落ち着かない気分で毎日を過ごし、テスト勉強中もふと慎吾のことを思い出すと、もうなかなか頭を切り替えるのに苦労した。

待ちに待った誕生日当日、テストが終わると阿部は一目散に家に飛んで帰り、バッグに着替えを詰めて家を出た。

デートはほぼ毎週欠かさずしていたけれど、やっと、やっと今夜は久しぶりに、と考えて、頭の中がそんなことでいっぱいになっていることに気づいた阿部は、恥ずかしさに顔を真っ赤にした。

別に、したいだけでこんなに浮かれてるんじゃないと自分自身に言い訳しつつも、期待してしまっていることを否定はできなかった。

 

「ヤマちゃんとモトも今日空いてるんだってさ」

だから、部屋に入って間もないうちに慎吾の口からそんな提案が出たとき、阿部は本気で言葉を失った。

「まだ連絡はしてないんだけど、せっかくの誕生日なんだし準太達も呼んででっかいケーキでも買おっか?」

この部屋に入るまで弾けそうなほどうきうきしていた胸が、空気の抜けたジェット風船みたいに萎んでいくのが分かる。しゅるしゅるしゅる、と音を立てて地面にぺたんと落ちた後、歩いてきた慎吾に踏まれた姿まで想像できた。

「隆也?」

明らかに落ち込みの色を見せて黙り込む阿部に、慎吾は心配そうに顔を覗いてきた。

「どうした?気分悪いの?」

優しく、甲斐甲斐しく、阿部を気遣う。なのにどうして、こんなに酷いことをさらりと言うんだろうこの人は。

怒っているなら怒っていると言ってほしい。意地悪のつもりなら、もう十分傷ついたからいい加減許してほしい。

あんなに触れてきたのに。あんなに求めてきたのに。あんなに何度も抱いてくれたのに、もう、二度と抱き合うことはないんだろうか。

目頭が熱くなったと思うとみるみる目の前がぼやけてきて、プールの中に沈んだように水が溢れていく。

まつ毛の先から大粒の雫がぱたぱたぱたと、止まることなく落ちてきた。

「隆也?え、どうしたの」

本気で慌てたように阿部の肩に手を乗せると、慎吾はそのまま阿部を抱き締めた。こんな風に簡単に抱き寄せることはしても、今の慎吾はその先へ進んではくれない。

「…慎吾さん」

「ん?」

苦しくて、胸が痛くて、もうわけの分からない慎吾の行動に悩むのに疲れて、阿部は覚悟を決めた。

「もう…俺のこと、…好き、じゃ、なくなりました?」

慎吾が絶句したのが、僅かな身体の揺れで伝わった。そうなのか、と阿部は思った。

「……隆也、何、言ってんの?」

だが慎吾が発した言葉は阿部の予想とは違っていて、慎吾は阿部の肩を強く掴んだまま胸から離した。そして阿部の顔を、真正面から見据える。

「何でそんなこと…つか、もしかしてそれで泣いてんの?」

慎吾は寝耳に水みたいな反応で、目を見開いて阿部に問うた。

「だって慎吾さん……全然、触って、くれないし」

「え、触ってるじゃん」

「そういうことじゃなくて、」

そんな意味じゃない、分かっているくせにはぐらかす。

今日までずっと、毎日慎吾に抱かれることを心待ちにしていた自分がばかみたいで、恥ずかしくて、虚しくなる。慎吾はもう二人で過ごしたくないのだと思うと、ただ悲しくて阿部は涙を堪えることを諦めた。

「隆也、何か誤解してない?もう好きじゃないとか、なんでそんなこと思うの?」

「…だ、って、…慎吾さん、し、してくれない…じゃないですか」

「何を?」

「………」

阿部が恨みがましげに睨みつけると、慎吾はやっと、本当にたった今合点がいったとばかりに口と目を真ん丸に開けて「ああ!」と言った。そして今度は「え、」と言ってその目を驚きの色に変える。

「俺が隆也に手ェ出さなかったから、もう好きじゃなくなったかもって不安になった…ってこと?」

その通りじゃないか、阿部は声に出さずに目で責める。あんなに自然に、まるで今までのことが夢だったかのように、単なる友人のような距離感に戻ったくせに。といってももう、恋人同士以前の距離感がどんなものだったのか正直思い出せないのだけれど。

慎吾は何か言葉を紡ごうとし、けれどうまくまとまらないのか何度も言いかけてはやめ、「あー、」と言いながら頭を掻いた。

「とりあえず、誤解だから。隆也のこと、今までと変わらず好きだから」

信じて、と言って慎吾はもう一度阿部をそっと胸に抱き締めると、背中をぽんぽんと優しく叩く。

「…んーと、まぁ、なんだ。不安にさせてごめん。けど俺、隆也に身体目当てだって思われたくなくてさ、我慢してたんだよ」

やはり慎吾はあの言葉を本気にとっていたのだ、したいだけなんじゃないかと言った阿部の意地悪を。

「あんなの、嘘です」

「うん、多分本気じゃないだろうとは思ったけどさ。でもちょっと、確かに俺も隆也に夢中すぎたかなって反省した。エッチしてばっかで不安にさせちゃったかなって。だからエッチ抜きで健全なお付き合いをさ、目指してたんだ」

だから今日もストッパーとしてヤマちゃん達誘おうと思ってた、と慎吾は言った。

夢中なのは自分だけだと思っていた阿部は、まさか慎吾がという思いで静かに感動する。

「けど、エッチしなかったことで逆に不安にさせてたなんて…思っきし逆効果だったな」

慎吾が笑う。ごめんな、と謝る。それからもう一度、好きだよ、と言った。

「俺も、好きです」

「うん。…じゃあさ、今から、しよっか?」

軽快な声音でそんなことを言うものだから、また軽口をたたいているのかと阿部は思った。だが背中に触れる慎吾の手つきが艶めかしい動きで阿部のニットをゆっくりと捲り上げたので、一気に身体が粟立つ。

「…しんご、さん…」

「かなり我慢してたから、あんま余裕ないけど」

いい?と訊かれて、首を振る選択肢なんてあるはずない。我慢していたのは、阿部も同じだったからだ。

こっくりと頷く阿部に愛しげに口付けた慎吾は、まるで俺の誕生日みたいだな、と言って笑った。

「隆也の誕生日なのに、俺がプレゼント貰うみたい」

その瞳が嬉しそうに阿部を捉え、阿部の胸が震える。触れ合えなかった、抱き合えなかった時間を取り戻したい、阿部は強くそう願う。

 

「じゃあ、俺にも慎吾さん…いっぱいください」

 

たくさんキスしてほしい。強く抱き締めてほしい。いっぱいいっぱい、甘い言葉を囁いてほしい。

阿部の言葉に手の動きを止めた慎吾が、阿部を凝視する。

「…もう寝かすつもりないけど、いい?」

阿部の好きな、不敵な笑みでそう言われ、だが阿部はちょっと困ってしまった。慎吾の腕枕で眠るのが大好きだから、寝られないのは困るなと思いふるふると首を振る。

だが慎吾はもう阿部の返事など関係ないとばかりに阿部の耳朶を食むと、誕生日おめでとう、そう言った後でいただきます。と囁いた。

 

 

 

end.