CLOSE TO ME ①
島崎・準太・利央→阿部
ロース、ハラミ、タン、カルビ、豚トロにテッチャンと目の前にずらり並べられた肉達に、何故自分がこの場にいるのかというデジャヴのような疑問はとりあえず横に置いておこうと阿部は思った。
「うっし利央、焼け!」
「りょーかい!」
体育会系特有の年功序列の掟に従い、準太の命令に利央は素直にトングを手に肉を掴むと、目の前に鎮座する七厘の網にそれらをどんどんと載せていく。
L字型になったソファー席には準太と慎吾が阿部を挟んで座り、テーブルを挟んだ向かいに利央は一人椅子に座らされている。不公平じゃんか!と抗議しても、2、3年生の前に1年生でしかも補欠の利央には基本的人権の尊重など存在しないのだった。
「沢山食べなよ阿部くん」
「あ、ハイ」
「阿部くん、タン焼けたよ。はいレモン皿」
両隣から次々と肉を取皿に載せられて、阿部はちらりと七厘の煙の向こうに座る利央を見遣る。と、案の定利央は涙目になりながら阿部を羨ましげに見ていた。これ食ったら焼くの代わってやろう、と阿部は思った。
「阿部くんてさぁ、中学の時試合出てた?ウチと試合したことあったっけ?」
「あ、俺シニア入ってたんで」
「えっシニア?まさか荒シーとか!?」
純粋に興味があっただけなのに、思わず阿部に詰め寄った準太の肩を慎吾がさりげない笑顔で押し返す。準太はしぶしぶ阿部から離れた。
「いや戸田北です」
その言葉に準太の上体は再び前のめりになる。
「えっ戸田北、って…、じゃあもしかして、榛名とチームメイトだったとか?アイツも確か戸田北シニアだったよね?」
恐らくこの場の誰も知り合いでないことは明らかなのに、まるでその名を知っているのが当然の前提であるかのように「榛名」という名前が準太の口から出る。そして阿部の表情が僅かに堅くなったことに気づいたのは、先日直接榛名と対面した利央だけではなかった。
「…一応、バッテリー組んでました」
「へーそうなんだ。おい利央良かったな~、ちょっと榛名に勝ったじゃん、阿部くんとお知り合いになれてさ」
「準サンッ!」
ニヤリと意地悪に笑う準太に利央はバツが悪そうに声を荒げる、だが阿部にはその理由は分からない。
「阿部くんハイ」
「あっ、どうも…」
それまで会話に入っていなかった慎吾が阿部に肉を勧めたので、榛名の話はそこで終了した。
「利央、トング貸して。俺焼くよ」
腰を浮かせて手を伸ばした阿部に利央は慌てて首を振る。
「えっ、いいよいいよ!この席焼きやすいしっ、たかやは気にしないで座ってて!」
焼き役である自分を気にしてくれたことが嬉しいのか、利央は頬を少し赤らめて手を振る。でもお前ずっと焼きっぱなしだし、と言う阿部に、利央はもうそれだけでじゅーぶん満足だからっ!と阿部には理解不能なことを言いまた赤くなった。
二人のやり取りを何気ない顔で見ていた準太と慎吾だったが、もちろん聞き逃すはずがない、聞き捨てならない言葉を聞いてしまったのだから。
「へーえ、利央やるじゃん」
「な、何だよぉ…」
準太の流し目の意味をばっちり理解してしまった利央は、だが怯みそうになりながらも懸命に強がってみせる。さっきから極端に口数の少ない慎吾にも、怯えた隙は見せないとばかりに背筋をしゃんと伸ばして威嚇する。
「利央、ちゃんと食ってるか?いっぱい食えよ」
「うっ、うん!」
またぱっと明るい表情で笑顔になった利央に、阿部もつられて柔らかな笑みが生まれた。
しかしこうして全員違う学年であるにも拘わらずしょっちゅう同じメンバーで、しかも他校生の自分まで呼んで焼肉に行こうだなんて、やはり中高エスカレーター式の学校は仲が良いんだなぁと阿部はつくづく感心した。
だが榛名のそれとは違う。何が違うのかと問われればうまく説明出来ないが、はっきり言えるのは榛名は阿部に甘えすぎだということだ。慎吾も準太も利央に甘えてはいない。年上の威厳を翳して理不尽な命令をしたり下っ端の利央をこき使うことはあっても、榛名のようにべったりひっついたり食べ物をねだったりはしない。(奢らせることはあるかもしれないが)
何であの人はあんなんなんだろ、と阿部は先日の榛名を思い出して眉間に皺を寄せた。
あっという間に4人前を平らげ、今度は野菜も加えて追加オーダーを注文する。たかやたかや、トウモロコシ食べる?とウキウキしながらトウモロコシを網に載せていた利央が突然悲鳴を上げて椅子から飛び上がったが、テーブルの下で何が起こったのかは笑顔の先輩二人に挟まれている阿部にはやはり分からなかった。
「あーもうウィンナーねぇじゃん。利央、注文」
「へいへい」
すいませーん、と利央が手を上げて店員を呼ぶ。
「準太さん」
阿部はちらと準太を見上げ呼びかけた。
「ん?なに阿部くん、何か注文する?」
「これ」
これ、と言って差し出されたソレは阿部の皿にあった最後の一本だったウィンナーで、そのウィンナーを阿部は箸で摘み準太の口まで運ぼうとしているところだった。準太は目を驚愕に見開き言葉を失う。阿部自身は背中を向けているので気づかなかったが、慎吾も準太と同様、阿部の行動に半口を開けたまま絶句していた。利央だけがただ一人、「あっ」と声を出し固まる。
そうすることに阿部が深い意味を持っていないのであろうことは、あの榛名への「あーん」を見た者にしか分からないだろう。シニアの頃から当然のようにああすることを求められていた阿部には、自分の食べ物を他人の口に運んでやることなど恐らくミットの中のボールを手で拭いてから投手に手渡しするのとさほど変わらないことなのだ、多分。そう教え込んだ榛名への嫉妬と、簡単に相手の色に染まってしまう阿部の危うい従順さに利央は唇を噛み締めた。
「…ぇ、っと…?」
ヒク、と口角を引きつらせて準太は阿部の顔を見る。阿部は至極真面目な顔でじっと準太の目を見つめ返していて、準太が戸惑っていることすら気づいていない。
「俺さっきも食ったんで、どうぞ」
「…あ、ぁ…りがと…」
利央と慎吾の痛いほどの視線に準太は優越感たっぷりな顔すらする余裕もなく、おずおずと口を開ける。阿部の箸に挟まれたウィンナーを前歯で銜え、そのまま力を入れて噛みちぎった。パリンとした皮の割れる歯ごたえの後に熱い肉汁がじわり口に広がる。一口でいけよ!という外野の野次など右から左へ受け流して、ゆっくりもぐもぐと咀嚼しながら阿部を見つめると、阿部は焦んなくていいですよ、と言った。
まずい、と準太は思った。不味いのではない、マズいのだ。口の中のウィンナーを噛み締めるその度に、同時に幸せも噛み締めている。頬が緩んで仕方ない、二人の悔しそうな羨ましそうな醜い顔がますます準太の気持ちを盛り上げる。
再び、今度はもう少し積極的にあーんと口を開ければ、阿部はまた優しく口の中にウィンナーを運んでくれた、それも添え手付きで。16年間生きてきて、これほどまでウィンナーが美味いと思ったことはなかった。
「…ほっぺた落ちそう」
堪えきれず口を手で覆い、漸く発した言葉はこれ以上ないくらいのノロケだった、が、
「そんなに好きだったんスか」
阿部は少し驚いている。これほどウィンナーを嬉しそうに頬張る人間見たことない、とでも言いたげな顔で、準太を珍しいものを見る目で見ていた。
「うんかなり、好きみたい」
蕩けそうな笑顔で準太が言うと、その表情に阿部の頬がほんのり赤らむ。が、慎吾と利央にまだ焼けていない生のなすびやらカボチャを口に入れられるハメになった準太にはそれは見えなかった。
「うげ。召集かかった」
携帯に届いたメールを開いた慎吾は、読むなりうんざりした顔で本当に嫌そうな声を出した。
「ヤマサンっスか」
「いや和己。めんどくせーなァ…」
「和サン!?ちょ、モタモタしてないでさっさと行って下さいよ慎吾さん!」
準太は自分のことのように慌てて慎吾に鞄を押し付ける。
「何だよお前、ヤマちゃんなら良くて和己なら行けってか」
「いやまぁ今日に限っては誰でも行かせますけど。でも和サンは待たせないで下さい」
お前は和己の犬か、と不平を漏らしつつ慎吾は諦めて席を立つ。おつかれっしたー!!と代金だけはきっちり徴収してやたら元気に両手を振る後輩二人を軽く睨むと、
「阿部くん、可哀想な俺を表まで見送ってくれる?」
慎吾は阿部の肩にぽんと手を置いた。阿部は頷いて箸を置き、慎吾について腰を上げる。
「たかやっ、何かされたら大声上げてね!」
「防犯ブザー持ってくりゃ良かったな」
「お前ら人を何だと…」
阿部の肩にさり気なく腕を回して慎吾は扉へ向かった。