KWNB624

二次小説置き場。ブログタイトルから連想できる方のみどうぞ

CLOSE TO ME ②

「あー、残念だな。もうちょっと居たかった」

「…何か打ち合わせっスか」

「ん、そうだろね。俺ら3年も結構ツルんでるから」

「慎吾さんは準太さんや利央ともよく遊んでますよね」

暗に勉強はいいのかと釘を刺されているようにも聞こえ、慎吾は苦笑した。阿部くんがいる時だけだよと言うと、阿部は「は?」といった表情で首を傾げる。

「今度はさ、二人で焼肉行かない?ゆっくりと」

「はぁ」

「…阿部くん、焼肉デートの意味って知ってる?」

「意味?」

ぽかんと口を開けて目をまん丸にした阿部の顔を見て慎吾はまた苦笑する。

「意味なんてあるんスか。つかデートって…」

「あー、まぁ、科学的根拠はないけどね。でも行こう、二人で」

阿部は腑に落ちない表情を隠すことのないまま、再びはぁ、と曖昧に返事をした。いまいちこの男が何を考えているのか分かりかねる、その上3年生なので1年生の自分が偉そうな口を聞くわけにもいかないので、阿部はどうにも慎吾に対して強くは出られないのだ。

これが榛名なら遠慮も何もなく突き放せるのだけど、と無意識に榛名の顔が頭をよぎり、阿部はハッと我に返るとふるふると頭を振った。

「あ、阿部くん」

「ハイ?」

慎吾が阿部の顔を覗き込むように少し背を丸め、そのまま顔を近づけていく。

「?し……、っ、!?」

阿部は思わず声を上げそうになり、だがとっさに堪えて慎吾から勢い良く後ずさった。何が起きたのか、何をされたのか意味が分からない。

「なっ、……!?」

唇を、正確には唇の端を、ゆっくりと舐められた。タレついてたよ、慎吾はサラッと何でもないことのように言った。

「ウ…ウソ…ッ、だ」

「あれ、バレてた」

「ウソだったんスか!?」

否定してほしかったのにあっさり肯定されてしまい一気に顔に熱が上る。心臓は忙しなく騒ぎ出して、ますます頭はパニック状態になっていく。

唇を舐められた、タレついてたよと言われたが嘘だった、では何故慎吾はそんなことをしたのか。分からない、慎吾の言葉も行動も何ひとつ分からなかった。

阿部くん、と慎吾が手を伸ばす。阿部は無意識にビクリと身体を強張らせた。

「そんな警戒しなくても」

「っ…、だ、だって…」

「準太にあんなことは出来て、これはダメなんだ?」

「あんな、こと?」

慎吾はウィンナー、とだけ言った。だがあの行為を別段特異なことと認識していない阿部には何のことか思い当たらないらしく、まだ困ったように頬を赤らめたまま慎吾を睨む。怒りからではなく、動揺のせいで睨んでくるので余計に可愛らしく慎吾には思えた。

「阿部くんは誰にでも出来るんだ?その方がびっくりだけどね、俺からすれば。一体誰から教えられたの、あんなこと」

「だからあんなことって何なんスか」

阿部くん、ともう一度慎吾は言った。食い下がろうとしていた阿部はまた我に返り、猫のように警戒心を露わにする。

「阿部くんはそのつもりじゃなくても、餌付けされると男は勘違いするもんなんだよ」

気をつけなよ、と言うと慎吾は阿部の頭をくしゃりと撫でた。そして今度俺にもウィンナー食わせてよと言い、じゃあねと手を上げて信号を渡って行った。

 

「どうかした?阿部くん」

隣を歩いている準太が訊いた。利央と別れた二人きりの帰り道で、さっきの慎吾の言葉を思い出している時だった。

「慎吾さん見送ってから何かおかしくない?」

「え…別に、そんなことないです」

「…まさかホントに慎吾さんに何かされたとか?」

確かに何かはされた、だが阿部にとっては信じられない衝撃だったとしても、もしかすると桐青では先輩が後輩をからかう時によくしていることかもしれない。だとすれば過剰反応だと笑われるかなと思い、阿部は慎吾にされたことを準太には言えないでいた。

「いや、ホントに何もないっス。ただ、」

「ただ?」

「準太さん、焼肉デートってどういう意味があるか知ってます?」

阿部は慎吾の話題を逸らすつもりもあり、尚且つ本当に準太に教えてもらいたいことでもあったので思い切って訊いてみる。

「へ?焼肉デート?」

阿部はじっと準太の目を見る。準太は少し宙を仰ぐ感じで考えていたが、すぐにハッと何かに思い当たり勢いよく阿部を振り返った。

「慎吾さんに誘われたのっ!?」

「えっ…、あ、ハイ、今度…」

「二人でって!?つまり焼肉デートしようって!?」

阿部は準太のリアクションに呆気にとられ、素直にだがぎこちなくこくりと頷くしか出来なかった。

「あンの人は…んっとに油断も隙もねぇな」

「あの…何なんスか、焼肉デートって」

舌打ちする準太にそう訊けば阿部くんは知らなくていいよ、とにっこり言われ、複雑な気持ちは残る一方だ。もう一度準太の名を呼ぼうと阿部が顔を上げた時、鼻の頭に冷たいものがぱたりと当たった。

「雨だ」

準太につられて空を見上げる。いつの間にか空全体に灰色の雨雲が広がり、夜なのに薄ら白い明るさになっていた。

「準備いいね」

阿部が鞄から折り畳み傘を出すのを見て、準太は本気で感心した表情で言う。

「今朝の天気予報で降るっつってたんで」

阿部はぴたりと足を止め、それに気づかず一歩踏み出した準太の後ろから右側に回ると、左手で傘を持ち腕を高く上げた。

準太は一瞬息を呑んだ、そして阿部の顔を凝視する。

「…阿部くん」

「はい?」

意識して気を遣っているのではないあくまでも無意識なその行動が、だけどあまりにも徹底され過ぎていて、嬉しさよりも先に疑問が準太の頭に浮かぶ。

「…誰にでもそうなの?」

本当に純粋に、ただ質問したかったからそう訊いただけだった。言外の意味など含めた覚えはない、なかったが、

「え、あっ阿部くん…!?」

一瞬きょと、と準太の言葉に固まり、そして言われた意味を理解した阿部の表情が瞬時に曇っていくのを目の当たりにした準太は慌てた。何か気に障ること言ったんだろうかと焦っていると、阿部はスイマセン、と掠れた声で俯いて言った。

「え、え?何で謝んの、つかゴメン、別にイヤミで言ったとかじゃ…っ」

「俺、おかしいんですか」

「え…」

「こういうことすんのって、おかしいんですか」

そう問うてきた阿部の顔は今にも泣き出しそうに準太の目には映った。胸がぎゅ、っと掴まれる。

「……おかしい…って、言うより、…う、嬉しいよ」

未だ不安気な表情で阿部が準太を見上げる。準太は阿部の持ち上げている傘の柄を手に取った。自分より身長の低い阿部に、いつまでも持たせておく気になどなれるわけがなかった。

「ただ、さ、何で阿部くんがここまでしてくれるのかも正直分かんねぇんだ。ああやってウィンナー食わせてくれたり、今もわざわざ俺の右側に回ってくれただろ?それって俺の肩冷やさないためにって意味じゃないの?」

阿部は戸惑った。

自分が何の疑問も抱かず、当然だと思っていた行為が準太や慎吾にとっては普通ではなかったということがショックだった。だってこれは、こうしろと教えたのは、

「…俺、は、…捕手で」

「?う、ん」

阿部は途切れ途切れに、声を震わせながら言葉を紡ぐ。

「準…太さんは…、投手、…だから」

「うん」

「投手の…ために、…捕手は動くもんなんだ、って、」

「教わったの?」

項垂れるように、阿部は頷いた。

「いつから?西浦の監督に言われたの?」

ふるふると細かく首を振った阿部は、だがそれ以上先はなかなか言い出せずに黙り込む。準太がシニア?と訊くと、一瞬ピク、と肩を緊張させてから阿部は頷いた。準太は眉を顰める。

投手に尽くすよう教え、それが当然だと思い込ませ、離れても今なお阿部の中でこれほどまで絶対的な位置にいる、そんな人間はおそらく一人しかいないと準太は察する。

美丞大に勧誘されたとか、プロからもスカウトを受けるだろうとか、正直そんなものよりもずっと激しい嫉妬に胸が苛立つ。この場には確かにいないのに、阿部を背後から強く抱き締め縛り付けている見えない左腕の投手がこちらを見て笑っている。

準太は腕を伸ばした。奴の腕の中から阿部を奪い返し、その細い肩を抱き寄せる。

「準…、」

静かな雨の音が周囲の喧騒を吸い取り無に変えていく。二人の胸の間で脈打つ心臓の音だけが、互いに弾き合うように騒ぎ立てていた。

 

 

 

 end