高瀬準太の欲しいもの④
ケーキは普通に美味かった。
チキンも平らげてパフェは阿部と半分こして、片付けを終えると二人はリビングで寛いだ。
阿部がソファに腰掛けて準太はソファを背もたれに絨毯の上に座る。穏やかな恋人同士の時間を過ごしながら、だがやはり本格的に夜が近づいてくるにつれ準太には焦りとも期待ともとれる苛立ちが生まれてきていた。
そして阿部にも漸くその兆しが現れた。が、どうもそれは準太のそれとは違っているようだった。
確かにどことなく焦ったような様子が徐々に見え始めてはきたのだが、だからと言って準太の動きに怯えるわけでも自ら迫ってくるわけでもなく、互いの中で膨らみ始めたそれぞれの焦燥感に準太も阿部も戸惑うことしか出来ずに、恐らくどちらも集中など出来ていないであろうテレビの洋画をぼんやりと眺めていた。
ふ、と。
止まっていた空気が僅かに動いた気がして、何かと思うより先に準太は阿部の指が髪に触れてきたことに気づく。
振り払うつもりではなかったが、思ったより勢いよく腕が阿部の手を跳ね退けてしまい、あ、と二人の間に気まずい空気が生まれる。
「すっ、すいませ…」
「あ、いやゴメン、なに?」
阿部は何でもないですと言って頭をふるふる振った。
「何でもないって…触ったじゃん」
「…何でも…ない、です」
阿部は目を伏せて言った。おかしい、明らかに阿部もおかしいのだ。
「何ではぐらかすの?なに?さっきから」
互いに何らかの緊張を抱えているのに、それは確かなのに合致しない。自分勝手な期待が落胆に色褪せかけている歯痒さをどうにも出来なくて、阿部に当たりたくなどないのに口調が強くなる。しまったと思うが既に遅い、阿部は恐らく付き合って初めて見る準太の苛ついた態度ときつい物言いに瞠目していた。
隆也、と努めて優しく声をかけるが、阿部の手首を掴んでソファから降ろさせようとした準太の手は今度は阿部に払われる。
「隆也」
準太は焦って立ち上がると、阿部の隣に腰を降ろした。柔らかなソファに準太の身体が沈む。
阿部は俯いていた。俯いたままグッと歯を食い縛ったのだろう、肩が震える。
悪い、と謝ろうと口を開くが、それを遮るように掠れた阿部の声がぽつりと漏れる。分かんねぇ、彼はそう言った。
「え?…何が、分かんねぇの?」
「……っ、」
阿部はまだ頭を垂れたまま、準太より少し薄い肩を戦慄かせる。
「隆也、泣くなよ。ごめん」
「泣いてません!」
そこは譲れないところなのか、阿部は強く反発する。
「…悔し…くて…」
「何が悔しいの?」
「…せっ、かく…準太さんの、誕、生日…なのに」
準太さんに何も、あげられなくて。
準太はきょとん、とした。
「…え?もらったけど」
パフェもチキンも、そしてケーキももらったではないか。しかし阿部は悔しそうな表情で顔を上げると、あんなんじゃなくて、と駄々をこねるように首を左右に振った。
「…ホントは…準太さんの、欲しいものをあげたかったんです。でも分かんなくて…それで、俺…」
「どうしたの?」
「…利央と慎吾さんに…」
「訊いたの?」
阿部はコク、と頷いた。
「いや、でもアイツらだって分かんないだろ?俺の欲しいものなんか」
準太自身、特別に欲しいものなんてすぐには出て来ない。それを利央と慎吾が分かるとは思えない、と言おうとしたが、
「…目の前…に、あるって」
「隆也の?」
阿部はまたふるふると頭を振って、
「利央にも言われたし、慎吾さんにも同じこと言われたんです。今目の前にあるって」
「…………」
準太は頭の中で阿部の証言と利央と慎吾の言葉を照らし合わせて、その言葉の指す意味を考えて、
「…あー…、」
二人の言わんとしていることに気づいた。準太さん分かったんですか!?と阿部はビックリしている。
「あ、それでもしかして、アレ?」
アレ、とはチョコレートパフェとフライドチキンのことで、阿部が無言で頷くのを見て準太はぶはっと噴き出した。
「なっ、なんで笑うんスかっ」
「アッハ、あはっ、あーおっかし!隆也カワイすぎるって!!」
「なにがっ!?」
どうやら準太のツボに入ってしまったらしく暫くは治まりそうにない。腹を抱えるように上体を前に倒して肩を震わせくっくっと笑い続ける準太の背中を阿部はぺしっと叩き、「やっぱからかわれたんじゃん」と拗ねたように呟いた。
「いや、利央達は嘘吐いてねーよ」
準太はまだ目に涙を浮かべたまま、笑いのせいで呼吸困難になりながらも息を整えつつフォローする。利央や慎吾を庇うというよりも、彼らにからかわれたと勘違いして阿部が傷つくのが可哀想だと思ったからだ。
ライバルだけど、油断ならないけれど、それでも彼らが阿部を騙したり傷つけたりすることは決してない、それだけは確かだから。
「でも準太さんに触っても分かんねぇし」
「なんで触ったら分かんの?」
俺も理由は教えてもらえなかったけど、と前置きしてから阿部は言葉を続ける。
「じっと目を見て準太に触ったら絶対準太から欲しいもの言ってきてくれるよって言われて…」
「あの人は…」
「あと、不意打ちも効果的って言われたんで」
それで髪に触れてきたのか、と準太は納得する。確かにもしあれが甘い空気の中でのことなら、自分も阿部の手を振り払うことはなかった。驚いたにせよ反応は全く違っていたはずだ。だがさっきまでは阿部の考えていることが全く読めずに、自分だけが今夜のことで期待しているのかもしれないと落ち込みかけていたので、阿部に触れられるのは逆効果になっていたのだ。
でももう分かったから。
「隆也」
阿部の肩に腕を回し、そっと引き寄せる。阿部は頬を紅く染めながらも、今度は振り払うことなくおとなしく準太の腕に収まった。
「で、隆也はまだ俺のほしいもん分かんねぇまま?」
「…ごめんなさい」
「謝んなくていいって。じゃあリクエストしていい?」
「もう今日は買いに行けないから、明日になりますけど」
「いいよ、ここにあるから」
準太のその言葉に阿部はえっと声に出して、準太の胸にうずめていた顔を上げた。
「あるんですか?どこに?」
「ここ。俺の目の前」