KWNB624

二次小説置き場。ブログタイトルから連想できる方のみどうぞ

走れ卑怯者

 

矢野×阿部/大学生設定

 

矢野と阿部との仲がぎくしゃくしだしたのは最近になってからだが、決定的な何かがあったわけではないだけにお互いが何だかおかしな空気に対して言及することも出来ず、 だがどう考えても以前のように自然なスキンシップも冗談も交わすことが出来なくなっていることには確かに気がついていた。

そうなった原因が何にあるのか、矢野には何となく思い当たる節がある。自惚れでなければ恐らくそれは、阿部の気持ちに矢野が気づいたからだろう。

矢野は阿部が好きだった。可愛くて生意気な弟みたいな後輩で、川島と二人、いつも阿部をからかったり苛めたりしてよく三人でつるんでいた。阿部は川島にも矢野にもよく懐いていたが、 なぜか矢野と二人でいる時は若干居心地が悪そうに思えた。川島と三人でいる時にはそんなことはないのに、二人になると、いつも阿部は目を合わせなくなるのだ。

初めのうちは、もしかすると自分は嫌われているのだろうかと思っていた。嫌いとまではいかなくても、川島より心打ち解けていないとか、川島がいないと気まずいと思われているのだろうかと、俺は全然そんなことないのにと寂しい思いすら矢野は抱いていた。

「お前、俺のことニガテ?」

だからある日矢野は、阿部と二人で飲んでいる時に思い切って訊いてみた。阿部は驚いたように目を見開いて矢野の顔を見ると、それから困ったように眉を下げて、頬を赤らめて俯いてしまった。

力なく首を横に振る阿部を見て内心胸を撫で下ろした矢野は、じゃあどうして自分といる時はそんなふうなのかと更に訊いた。そんなふう、つまりよそよそしくて、決して自分からは触れてこなくて、 目を合わせてこないということを。

阿部はそんなことないです、と言ったくせにそれでも矢野の目を見返すことはしないで、怒ってますかと逆に質問してきた。別に怒ってなんかいない、寧ろそれはこっちが訊きたいことだ。

目の前の阿部はどう見ても三人でいる時とは態度が違う。矢野のことが嫌いなわけでも怒っているわけでもないとしたら、どうして目を合わせないのか。頬を赤くするのか。これじゃまるで…と考えたところで、矢野の思考は一旦停止した。いや、停止というよりは何かに突き当たったと言った方が正しいかもしれない。

これじゃまるで、…なんだ?

自分で導き出した仮定に面食らう。例えて言うなら、どうしても解けない数学の文章問題を、あーもうとりあえず知ってる公式全部使ってやれと適当に当て嵌めたらきれいに答えが出てしまったような、手応えも何もないけれどこれ以外に答えが見つからないといった感じで、矢野は阿部の態度を解してしまったのである。

そう考えれば合点のいくことばかりで、しかしまさか阿部本人に確認するわけにもいかない。でも多分きっと、そうなのだ。今度は矢野が赤面する番だった。

そんな感じで矢野は阿部の好意に気づいたものの、阿部も特に何も言って来ず矢野もそれ以上の詮索はしなかったので、しかし矢野までが阿部を意識し出したものだから余計に二人の時間は息苦しくなってしまっていた。

 

そんな二人の態度に人一倍敏い川島が気づかないはずもなく、矢野と二人の時にあの空気の悪さは何なんだと問い詰めてきた。三人の時は普通だと思っていたが、川島から見れば明らかにおかしな態度だったらしい。

「言っとくけどしょーもないシラ切るんじゃねーぞ?タカとお前の吐くウソなんて百発百中でお見通しなんだかんな」

確かに、この男の大きな眼を欺くなど出来やしないことは長い付き合いで身をもって知っている。

「いや、別に何があったってワケじゃねーんだけどさ、…その、なんか、アレだ。お前がいないと会話が続かねぇっつーか、弾まねぇんだよな」

「いつからだよ?お前らそんな仲良くなかったっけ?」

「仲良くない…ワケではない、と…思う」

自分でもはっきりしない言い方だと思う。煮え切らない態度に川島が苛ついているのも当然矢野は分かっていた。だけど本当にこれ以上何の言いようもないのだ。

もしかしたら自分の盛大な勘違いかもしれないし、当たっていたとしてもだからどうなるというものでもないのだから。

だが阿部とのこの気まずい空気は、矢野とて望んでいるものでもなかった。できるなら今すぐにでも、以前のように普通に阿部と話したい。阿部と目を合わせ、阿部の頭を撫で、阿部にも触れてもらいたいと矢野は本心からそう思っていたのだ。


「再来週の金曜空いてるか?」

ある日、川島に合コンに誘われた。合コンは初めてではない、寧ろ以前はしょっちゅう美丞の元野球部メンバーで行っていた。一番人気はもちろん川島で、だけど余程のことがない限り川島は合コンで彼女を作ることはしなかった。ただ昔の連中と会ってワイワイやるのが好きだっただけだ、矢野も川島も。

そして阿部の受験が終わって大学生になったら今度は阿部と常に一緒にいるようになったから、最近は合コンなんてすっかり忘れてしまっていた。

「久しぶりだなー、アイツらと会うの。急に彼女と花火行きたくなって焦り出したクチか?」

「つか毎年この時期んなると合コン行ってる気しねぇ?」

「あ、でもタカはバイトじゃなかったか?金曜って」

すると川島は心なしか冷えた目線を矢野に移すと、「呼ぶワケねーだろ」と素っ気なく言った。

いつもは必ず阿部に声をかけ、どこへ行くにも阿部と行きたがる川島が、自ら阿部を呼ばないと言ったことに矢野はいささか驚いた。

「タカに見られてーか?女の子とイイ感じになってるトコなんて」

そう言われてみれば、確かになんだか変な気もする。というか矢野の推理が当たっているとすれば、阿部の目の前で矢野が女の子といい雰囲気になるなど無神経もいいところではないのか。

「今回の合コンはお前目当ての子がいるみたいだからさ、お前が主役なんだからな」

「え」

突然の指名に驚く矢野に、川島はニッと笑うと「いっとけ」と言って矢野の肩に拳を当てた。

 

案の定合コンでは川島が殆どの女の子の注目を浴びていたが、なるほど確かに矢野目当てらしい子もいた。彼女は初めから矢野の前に座り、緊張した面持ちではにかみながら矢野に色々と質問をしてきた。

正直、悪い気はしない。自分に好意を持ってくれているのだと分かるとやはりその場の女の子の中では一番気になったし、恐らく相手側もその子と矢野を応援していたのだろう、彼女が言葉に詰まると他の友人が助け舟を出して彼女の良いところをアピールしてきた。

周囲の御膳立てもあり、矢野はその子以外の女の子とは世間話程度しかせず、終盤には互いの連絡先を交換した。また連絡するよ、と言うと彼女は嬉しそうに微笑んだ。

「イイ感じだったじゃん」

帰り道、駅に向かいながら川島にそう言われて、内心どこか後ろめたい気持ちがあったが矢野は「まぁな」とだけ返した。店にいた間に降ったのか、地面は濡れて湿気が充満していた。

「つき合うのか?」

「んー、いや、どうだろ」

「なんか不満?タイプじゃなかったか?」

「いや、不満とかはねーんだけど。でもその、彼女が欲しいかっつったら、別に今は…」

「でもヤりたい時にヤれんじゃん?」

その言葉に矢野は目を見開いた。川島からそんな即物的な言葉が出てくるとは思ってもみなかったからだ。しばし言葉を失った。

「何だよ?」

違うのか?とでも言いたげに川島は首を傾げる。違う、お前の言っていることは違うと矢野は言いたかった。

「好きだからつき合うんだろ。ヤリたいからつき合うワケじゃねぇよ。そんなの誠実じゃねぇだろ」

誠実って、と川島は笑った。

「向こうはお前のこと好きじゃん。お前はどうなん?」

「俺は…」

また、後ろめたい気持ちが心に靄のように広がる。誰に対しての後ろめたさなのかは、もちろん分かっていた。

だけど矢野は阿部を裏切っているわけではない。勝手な思い込みで勝手に申し訳ない気持ちになっているだけなのだ。だからこそ、どうにもしようがなかった。

「まぁ、ゆっくり考える」

そう言うと、もうこの話はおしまいとばかりに矢野は川島よりも一歩大きく足を踏み出した。

「俺さ、」

川島が後ろから声をかける。振り向かずに耳だけ川島の声に意識を向ける。

 

「タカとつき合うわ」

 

時が、止まった気がした。実際、足も止まっていた。だが川島もその場にとどまっていたので、二人の距離は縮まることはない。

「……え」

阿部と、川島が、つき合う。矢野はゆっくりと後ろを振り返った。

阿部が。

川島と。

「え?」

「間抜けな声」

川島は堪え切れず噴き出した。なんだよその声、と言いながらゲラゲラ笑うが、いつもの冗談を言っている目でないことは明らかなので、矢野はつられて笑えずにいた。

「あーおっかしー、なんでお前そんな信じらんねぇみたいな顔してんの?」

「いや、だって、」

だって、何だ?何だと言うのだ。川島の目はそう言っていた。

「タカと俺がつき合うの変か?」

「…ヘン、…とかじゃ、ねぇけど…」

「けど?何か信じらんねぇ?現に俺、今日女の子誰とも連絡先交換してねぇし」

確かにそうだ。社交辞令で連絡先くらいは交換しそうなものなのに、川島は誰に聞かれてもそれとなくはぐらかしていた。しかし、

「で、も…タカは…」

阿部は、阿部の気持ちは、

「…タカは、なに?『俺のことが好きなハズだからありえない』って?」

川島の言葉に、矢野は息を飲む。

「 お前それ、自分がそう思ってるだけなんじゃねーの?」

じっとりとした湿気が、熱を帯びて服にのしかかる。顔も腕も、背中もべたついているのが分かってひどく不快に感じる。

言われてしまった。自意識過剰だと戒めてはいたものの、それでもいつの間にか自分の中の勝手な憶測が矢野を有頂天にさせていたのかもしれない。阿部が好きなのは、自分なのだと。

「タカに言われた?好きだって」

「言われて、ねぇよ」

「じゃあいいじゃん、俺とタカがそうなっても。アツシはさっきの子とうまくいきそうだし、何か問題あるか?」

問題、何が問題か、何が正しいのか、分からなかった。

だとすれば阿部のあの態度は何だったのか、やはり矢野のことがそんなに好きではなかったからよそよそしかっただけなのか。あの赤らんだ頬は、目を合わせないのは、でも、だけど自分は阿部のことを、

そこまで考えて、ぱちんと頭の中で何かが弾けた。

シャボン玉みたいな薄い薄い膜が、軽い音をたてて割れた。クリアになった視界の中に、川島が真っ直ぐこちらを見ている姿が映る。いつもは愛らしいその大きな瞳が、だが今は試合中の相手を射抜く瞳の色をしているのに矢野が気づかないはずはなかった。

「あの子も、タカも、どっちも選ばないでお前は待ってるだけか?」

川島の言いたいことは、もちろん分かった。

「そのうち今日のことタカが知って、慌ててタカがお前に告ってくるかどうか様子見て、タカの気持ちが確認出来てからあの子のこと考えるつもりだった?」

「そ、んな」

「それがお前の言う『誠実』なんだ?」

言われて、はっとした。そんなつもりは微塵もなかったはずなのに、川島にそう言われると否定できない。阿部と彼女、二人の気持ちに向き合おうとしていなかった。そして、自分自身にも。

言葉が出なかった。何を言っても言い訳になるし、『誠実』の中身が空っぽな自分の言葉が、真正面から挑んでくるこの男に響くわけがないと矢野には分かっていた。

奪われそうになって初めて気づくなんて、愚かにも程がある。

 

どれくらいその場に固まっていただろうか、前から来た車を避けるように動かそうとした脚が、鉛のように重く感じた。

「ま、良かったんじゃね?」

いつも通りの明るい声が、全身に浴びる湿気を跳ね除けた。身体がほんの少しだけ軽くなる。

「もし今日ソッコーでつき合うことになってたら、彼女ぬか喜びさせて1回ヤッてからポイ捨てしてたかもしんねぇし。まだつき合う前だからギリセーフか」

そんな卑怯な人間に見えるのかよと、だが矢野は言い返せない。川島の言うとおりだ。そんなつもりはなくとも、最悪はそうなっていたかもしれない、自分自身の怠慢のせいで。

「あんまり余裕こいてっと、マジでとっちまうぞ?俺が本気出したらタカだってコロッと堕ちるかもよ」

本気とも冗談ともとれる、きっと両方であろう川島の言葉に遅すぎる危機感を覚える。

そうだ、何を思い上がっていたのか。まだ何も始まっていないし、確かなものなど何もない。今すぐにでも、伝えないといけないことがある。

「もうすぐバイト終わんじゃね?迎えに行くか」

川島が足を踏み出し、ようやく時間が進み始めた。

「え、ここは俺一人で行くとこなんじゃねぇの」

「初めは三人で合流してー、俺が抜けて気まずい空気になってからが勝負だろ?初めからイイ雰囲気で進められちゃオモシロくねーもん」

川島の表情は、いつもの悪戯な少年のものに戻っていた。ニッと笑って楽しそうに目を細める、普段よく阿部に対して見せている悪い笑顔だ。

「悪趣味な奴」

「悪趣味と言えばさ、タカ今日のこと知ってんだぜ。アツシお目当ての子がいて、アツシもそれ知ってて参戦するってことも」

「…マジ趣味悪ィ」

だからきっと、釈明タイヘンだろうな!とこれ以上ないくらい爽やかな笑顔でのたまう親友に背中をバンバン叩かれ、そうだこいつはこういう奴だったと再認識する。

けれどこれはずるかった自分への罰だ、甘んじて受けるしかない。阿部の気持ちに気づいていながら核心に触れることをせず、阿部を前にも後ろにも動けない状態にさせてしまった罪は重い。そうだ、フェアじゃなかった。

携帯を開き、迎えに行くとメールを入れる。すぐさま既読になるが返事はない。きっと彼は今、不快指数90のこの湿度のように重くじっとりした気持ちでいるに違いない。

 正正堂堂、相手にぶつかる。それを信条にしていたはずなのに、いつから自分はこんな卑怯な男になったのか。

気持ちを告げて、謝って、また以前のように戻りたいと、言葉できちんと伝えないといけない。 

梅雨はじきに明けようとしていた。

 

 

 

end