言えずのI LOVE YOU ③
「着きましたよ準太さん」
「ん~~~……」
「鍵どこですか?貸してください」
「かぎ……」
「家の鍵です。開けるから、俺に貸してください。どこにあるんですか?」
小さい子に分かりやすく説明するようにゆっくりと言葉を紡ぐ彼は幼稚園の先生みたいで、あんまり可愛いから声に出して笑ってしまった。だけどただの酔っ払いと思われてる俺は、それすら咎められることはない。笑ってないで、ほら、鍵貸してくださいって、またひとつひとつの言葉を区切って俺に説明する。可愛いな、ほんと可愛い。
「ポケット」
「ポケット?コートのですか?」
ううん、ここ、と言って俺は彼の手首を掴んでジーンズの尻ポケットを触らせた。
「取って」
「え…」
ちょっと困ったように言葉を詰まらせるその姿も可愛くて、俺は酔っ払いの特権とばかりに彼を胸に抱き締める。まぁ彼からすれば、まともに立ってられない俺が体重かけて抱きついてきてるくらいにしか思わないだろうけど。その方が都合がいいし、まぁいいか。
彼はじゃあ失礼します、と言ってから俺のポケットに手を突っ込んできた。俺がお尻触んないでくださーいってからかうように言ったら、セクハラなのは準太さんの方ですって窘められた。本当に保育士さんみたい。酔っ払うのも悪くないな。
部屋に入るとベッドまで運ばれて、水淹れてくるから座ってるようにと言われたので大人しく座って待った。甲斐甲斐しいなぁ、とアルコールで痺れる頭でぼんやり思う。
…あいつのことも、こうして世話してるんだろうか。そう思ったらまた吐き気が込み上げてきた、けど水を持った彼がキッチンから戻ってくると、またスッと楽になった。
「…今日」
「え?」
「時間、大丈夫、なの?もう…」
終電にはまだ時間あるけど、こんなとこにいるってバレたらあいつに責められるんじゃないかって心配だ。
「あぁ、大丈夫ですよ。俺この土日は実家に帰ってるんで」
そうなのか。もしかして、そうしないと今日の飲み会出てこれなかったから、か?
ナニソレ、なんでそんな、あいつに気遣わないといけねーんだよ。あいつだって家に集まって飲む連れいるじゃんか、なのになんでこの子は実家に帰る大義名分がないといけないんだよ。
いやこの子は何も言ってない、束縛されてるなんて言ってない。飲みに行くの禁止されてるとも言ってない、全部俺の勝手な妄想だ。
でも分かる、多分絶対そうなんだ。
この子はあいつの言うことなら何でも聞いて、他の男と飲みに行くのをあいつが快く思わないのを分かってるから、だから今日みたいに実家に帰るって言わなきゃ許してもらえないんだ。それでもどうしても彼が我慢出来ない時にはぶつかって喧嘩して、この間みたいに一人で自棄になっちまうんだ。
俺なら、そんなことしない。
「準太さん?お水はもういいですか?」
俺なら、君を泣かせたりしない。
「じゃあもう横になって下さい」
もっと君を甘やかして、君の笑顔を引き出したい、のに。
「…準太、さん…?」
黙ったきり何も言わない俺の顔を訝しげに覗き込んで、彼の手が優しく頬に触れる。俺はその手をそっと握ると、彼の身体を引き寄せてそのままシーツに仰向けに倒れた。
「じゅっ、…さ…っ」
俺の身体に体重をかけないよう慌てて腕をベッドにつこうとする彼を、更に強く抱き締める。もっと甘えて、俺に頼って。あいつに言えないこと全部、俺に言ってくれればいい。あいつにしてもらえないこと全部、何でも俺が与えてあげる。
だから、だから。
「俺にしろよ」
このままでいいなんて、ウソだ。
いつだって本当は、あいつから俺に乗り換えてほしいって思ってる。
俺のことだけを、特別好きになってほしいって思ってる。
君の優しさも心配も妬きもちも、全部全部、独り占めしたいって望んでるんだ。
言ってしまおうか、言ったら終わりなんじゃないだろうか、それでも言ってしまいたい。そんなことをぐるぐるぐるぐる考えて考えて、心臓痛いくらいバクバク鳴って、
「……準太、さん」
俺の意識は、そこで途絶えた。
携帯のアラームが遠くで鳴っている。だんだんトーンが大きくなって、やがて最大級の不協和音が俺の頭をガンガン割ろうと部屋中に鳴り響いた。
「……いっ、て」
頭が死ぬ。痛い、めちゃくちゃ痛い。なんか寒気もする。これはアレだな、風邪だな、うん。二日酔いなんかじゃない。
俺は携帯を開いてアラームをオフにすると、服のまま寝ていたことに気づいた。
「……どうやって帰ってきたんだっけ……?」
昨夜のことを思い出そうと目を瞑ればくらあっ、と頭が回って慌てて目を開ける。次に込み上げてきた嘔吐感にそろそろとベッドから出たちょうどその時、玄関のドアが開いた。
「あ、準太さん、起きたんですか」
俺は硬直した…けどすぐに蘇った吐き気にトイレに駆け込む。便器に向かってエレエレしながら、石鎚で殴られている頭に涙を流しながら俺は昨夜の記憶を必死に取り戻そうと足掻いて、足掻いて、
………思い、出した。
「……さいあく……」
トイレから出てすぐにうがいをして顔を洗った。正直気分悪くて倒れそうだったけど、こんな醜態さらして俺のプライドは既にズッタズタだ。これ以上彼に幻滅されたくない、だから顔だけは洗った。
「おはようございます」
「お、おはよ」
「吐いたんですか?大丈夫ですか?」
「あ、うんヘーキヘーキ。ごめんね、えっと…」
彼はコンビニに行ってきたと言って、袋から1Lのミネラルウォーターと「インスタントですけど」と言いながらしじみの味噌汁を出した。
「ご、ごめん、気遣わせちゃって…」
彼は気にしないで下さいと言ってポットのお湯を入れた味噌汁を割り箸で混ぜると、フーフーと息を吹きかけてから「熱いですよ」と俺に手渡してくれた。やばい、きゅんてする。
「水たくさん飲んで下さいね。身体からアルコール抜かなきゃいけないんで」
「…うん」
「ホントは大根おろしあった方がいいんですけど、コンビニ売ってなくて。まだ朝早いからスーパーも開いてないし…」
「いや、いいよいいよ、マジで気持ちだけで充分!ありがと!」
彼が尽くしてくれるのはくすぐったくて嬉しいけど、コレはちょっと…情けない。熱い味噌汁をゆっくりずずっと啜りながら、俺は恐る恐る彼に訊いてみる。
「……ゆうべ、さ」
「はい」
「泊まっ、て…くれたんだよ、ね」
彼は少しだけ緊張した表情で俺を見ると、小さくこくりと頷いた。そうだよな、だって俺が抱きついたまま寝ちまったんだもんな。そりゃ帰れるワケないだろ。
「ベッド、勝手に入ってすみませんでした。寝苦しくなかったですか」
「あ、ううん全然。俺こそごめんね」
って、ベッド!?ちょ、待て待て待て、そんなウルトララッキーなことになってたのに俺は今の今まで爆睡してて全く微塵も覚えてねぇってのかよ!!
「準太さん、お水飲んで」
俺がめちゃくちゃ苦しそうな顔してたからか、彼は心配そうな表情で水を勧める。俺は馬鹿だ、大馬鹿モンだ。自分で自分を殴ってやりたい。
「あの、さ、ゆうべ…」
俺が言ったこと、気にしないで。そう言いたかった、だけど、
「準太さん」
俺の言葉を遮るようにして彼は俺の名前を呼んでにっこり微笑う。
「おあいこですね」
「…え、」
「この間は、俺が準太さんに迷惑かけちゃって…。だから昨日は俺が準太さんを送って来れて、嬉しかったんです」
だからほんとに気にしないでください、と言って彼はまた微笑んだ。その笑顔は穏やかで優しくて、全ての人間に向けられる平等の笑顔。
分かってるんだ。
君は、本当は喜んでる。あいつに理不尽に束縛されるのが、あいつの我儘に振り回されるのが、あいつが君に完全に甘えきって好き放題してるのが、君を離れられなくさせてることに。君なしじゃ生きていけないことを、心の底では望んでるんだ。
俺も微笑った。だけど相変わらず殺されそうなほどの頭痛に、涙が出そうになった。
end